自然体で生きています
5月分のお給料が入ったので、キャンメイクのネイルを買いました💅
¥360にしては発色も良いし、気に入りました(*^^*)
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2月に52kgだった体重が就活・転職、彼との別れのストレスで43kgまで減ってしまいましたが、現在45〜46kgまで回復しました(*^^*)
食事が摂れないとめまいもするし、頭も回らないので大変でしたが、今はモリモリ食べて元気です。(毎日、過敏性腸症候群による下痢はしていますが…)
今は彼と別れて良かったと思っています。
1ヶ月でここまで思考が変わるとは思っていなかったので自分でも驚いていますが…。
彼に私のことを理解して欲しくて、でも理解してもらえなくて…プライベートでもストレスを抱えていました。彼に認められたいから頑張らなきゃ、と思って仕事をするのは辛かったです。
たった一人に認められなくたって、私は今の職場で十分認めてもらえているし、社会から必要とされていることに気がつきました。
今は誰かのために頑張るのではなく、自分のために頑張っている感覚です。
お腹の調子が悪くて朝昼はウイダーとカロリーメイトしか食べられなかったけれど、先週からは昼食にお粥や春雨スープが食べられるようになりました。
まだ夕食しか普通に食べることはできないけれど、少しずつ食べられるものや量を増やしていけたら良いな、と思います(*^^*)
お腹が空くって素晴らしい🙌
まだアプリでメッセージのやり取りしかしていませんが、今日の夕方から気になっている方とお会いすることになっています。
自然体の私を受け入れてくれたら良いな…
少しずつ、相手のことも知っていきたいし、私のことも知ってほしい。
こんなドキドキは6年振りなので、なかなか寝付けず…です(笑)
ネイルをして、ちょっとメイクに力を入れて、一番お気に入りの服を着て。
彼と別れてしばらくは「私にはもう生きる意味なんてないし誰からも必要とされない」と思っていましたが、今は生きていて良かったと思います。
職場でも、プライベートでも、私は誰から必要とされていました。とても嬉しいことです。
まだ「ほぼ寛解」の段階なので、これからも波はあると思いますが、担当医に言われた『双極性障害があっても普通に結婚も出産もできるから大丈夫』という言葉を信じて生きていきたいと思います。
壁を乗り越えている途中です。
転職してからの初任給でネイルを買いました💅
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彼に振られる、と言う大きな壁を、約1ヶ月経った今、乗り越えているところです。
8割方登ったかな?
今週は、最近流行りのマッチングアプリを始めてみました。自分には無縁だと思っていました。その中で1人、とても気になる方が…✨
なんと、今月お会いできることになりました。同じ市内で、会いやすいです。メッセージのやりとりでも、温厚で包容力がある感じが伝わってきます。私の病気も話したけれど、今、頑張っているんだからそれで十分だよ、って言ってくれました。
ちょっとドキドキ。
久々。このドキドキ感。
片想いの気持ち。
やっぱり元彼が良い、って思うかも知らないけれど、何人かお会いして、世界を広げてみようと思います。
もちろん、もしかしたらを考えて、犯罪に巻き込まれないように人の多いところで待ち合わせ…。
きっと、マッチングアプリなんて…と嫌悪する方もいらっしゃると思います。気分を害してしまっていたらごめんなさい。
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彼に認められたくて頑張っていた仕事も、今では社会から必要とされていることを原動力に頑張れています。
人手が足りないので、私がいなくなったらかなりまずいです。しっかり働けるように、ごはんもできるだけ食べて頑張っています。
少しずつだけど、前に進んでいます。
私、この壁も乗り越えてみせます!!
食事が喉を通らない
あれから…Twitterはログアウトしたので全く見ていません。
知り合いの知っているアカウントでも、こちらのアカウントでも、周りの方を不快にさせることしか言わないだろうな私…と思ったので…。
あれから私の身体は栄養失調を起こしているみたいで、心身かなりしんどいです。食事は嘔気で大変だし、食べたところで下痢。
仕事はなんとか行っていますが、ミスが多くなり、怒られることも多くなりました。
どうしよう…と悩んだ末、別れた彼に現状を伝えました。「私、いつ倒れるかわからないよ。何かあったらあなたの責任になってしまうかもしれないよ」、と。
体重も40kg前半になりました。
公共のお手洗いで全身鏡を見たときに驚きました。
これが、私?
痩せすぎて、更に生命力も失った自分が映っていました。
もう頑張れないよ。
彼と生きていきたくて頑張ってきたけれど、もう目標なんてないよ。
戻ってきてほしい。
ただそれだけを願っています。
大好きでした。ありがとう。
先日、5年半近くお付き合いしていた彼とお別れしました。やっぱり…振られました。
『この先一緒に居ても俺が大変で、辛くなるのが目に見えてる。確かになつは俺と別れたらすごく悲しむだろうし、可哀想だと思う。でも、今の気持ちは「好き」じゃなくて「可哀想」なんだって気付いた。普通の人と恋愛したい、ごめん。別れよう。強く生きて。』
病気だとは言っても、私は躁状態のときに彼の心身を傷付けました。当然の報いなのだと思います。
普通の思考が出来なくなって彼を叩いたし、揺さぶったし、きっと酷い言葉も言ったと思います。
1年以上前の出来事ですが、彼にとってはトラウマになってしまったのだと思います。
担当医が再発リスクの低い症例だとは言ってはいても、もし、また私が壊れたら怖いよね。
一番大切な人には幸せになって欲しいです。
だから、自分の想いを押し付けちゃダメ。
「うん、わかった。あなたが他の人と一緒にいるのを考えるだけですごく悔しいけれど、私が悪いんだもんね。ごめんね。今まで楽しかったよ。ありがとう。さようなら。たくさんお世話になりました。幸せになってね。大好きでした。」
必死に涙を堪えましたが、最後は嗚咽も何もかも堪え切れませんでした。そんな中で冷静な彼。完全に私から気持ちが離れていることを実感させられました。
私はこんなにも必要とされていなかったんだ…
そう思うと、辛くて悲しくて苦しいです。
どこかで「きっと彼は私を選んでくれる」と期待してしまっていた自分がいました。ばかだなぁ…
私の長所は、周りから見れば頑張り屋さんで、他人に気を遣ったり優しくしたりできることですが、それが自分にとっては短所でした。度が過ぎてしまって、自分を壊しました。その結果、たくさんの大切なものを失ってしまいました。
もし、神様がいるのだとしたら…
どうしてこんなに私に不幸を集中させるんですか?
私、そんなに悪いことしてきましたか?
って聞きたいです。
精神疾患。
復職不可で転職。
妹と友人の死。
彼との別れ。
どうしてこんなに…?
泣いてもどうにもならないけれど、泣くことしか出来ないです。
プライベートは仕事に持ち込まないようにと、仕事中は無心で仕事をこなしました。忙しいので、考える隙がなくて逆に仕事をしていた方が良いかも知れません。
でも、休憩時間にボーッとしてしまい、「何かあった?」と先輩たちに気付かれてしまいました。まだまだ精神年齢が幼いな、私。もう25歳になるのに。もっと大人にならなきゃ。通勤・退勤は無理です。声だけはなんとか漏れないように。ひとりで泣いていて…変人です。
どんなに辛くてもお腹は空きます。
こんなにココロがボロボロな状態でも、身体が生きようとしていることが辛くて苦しくて、何か食べると涙が止まらないです。
でも、『強く生きて』って言われたから。
生きることだけは辞めちゃダメだから。
大好きな彼に救われた命だから。
もしかしたら…
ものすごく確率は低いけれど…
『やっぱりなつと一緒に生きていきたい』
って戻って来てくれるかもしれないから。
私は生きていきます。
今日はお休みだったので、今まで彼にプレゼントしてもらったネックレスと指輪の洗浄をしてもらってきました。
購入時に付いていた箱と紐も持って行って、「購入時と同じような状態に包んでいただけますか?」と頼むと、店員のお姉さんは快く引き受けてくださいました。
でも、そんな人初めてだったんだと思います。少し驚かれていたので、「あの…彼に貰った大切なものなんです。でも、振られてしまったので見るのが辛いんです。綺麗にしてから封印したいんです。すみません、こんなお願いしてしまって…」と説明すると、たくさんいるうちのたった一人の客のために、泣きながら対応してくださいました。
「えっ…どうしてお姉さんが泣いてらっしゃるんですか?」とお聞きすると、
『私、こういうのダメなんです、ごめんなさい。たくさん使っていた証拠に細かい傷がたくさんあって。でも、目立った傷はないので大切に使われていたことがわかるんです。また開封する日が来るように、紐は少し緩めに結ばせていただきますね』
泣かないぞ!と気を張って行ったのですが、店員のお姉さんの素敵な対応に私の涙腺は崩壊でした。
お姉さん、ありがとうございました。
心の整理が、少し、できました。
今後、こんなに人を好きになることはないと思います。
そのくらい、大好きでした。
これからもきっと、大好きなままだと思います。
今は泣きたいだけ泣こう。
彼の悪口や、他にもっといい人がいるよ、の言葉は悲しいだけなので…今は言わないでください(>_<)💦
2013-2018
以前、摂食障害と闘ったときのこと。
2018.05.14
部活帰りに後輩とまぜそば🍜
2018.05.15
ランチに先輩とチキン南蛮🍖
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休み中、とにかく食べたいものを食べたいだけ食べています(*^^*)
おかげで体重が1kg戻りました🙌
ごはん美味しい❣️
ごはんありがとう(;ω;)
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最近、過敏性腸症候群で食事や体重、体型について気にする機会が増え、そういえば以前、摂食障害と闘ったことを思い出しました。長い間落ち着いていたので忘れていました。今日はそのことについて記事を書こうと思います。
【発症時期】
小学校6年生の時でした。
小学校5年生の時、体重がほとんど変わらなかったにも関わらず、成長期だったので身長が10cm伸びました。
6年生の時は5cmしか伸びなかったのに体重ばかりが増え(成長期だから当たり前のことです)、当時の私は怖くなってしまったんです。食欲旺盛な時期にも関わらず、無理に食事制限をしていました。
【中学生のとき】
入学時、身長155cm、体重37kgでした。
自分が細いだなんて自覚は全くありません。周りの人に言われても自覚できません。病気ですから…。
テニス部に入部し、週5〜6日の朝練、放課後練を普通に行っていました。特に夏場は貧血を起こして途中で休憩させてもらうことが多かったのですが、「貧血体質だから仕方がない」くらいにしか思っていませんでした。
部員に経験者が多かったので、少しでも追いつこうと帰宅後も素振りやランニングなどの自主練をしていました。
何年も体型が変わらなかったので特に身体に不調はなく、小学校・中学校は皆勤賞でした。
【高校生のとき】
入学時、身長160cm、体重41kgでした。
中学校の部活で多少筋肉が付いて、身長も少し伸びたので。でも、体重が42kgになることはとても恐ろしかったです。毎日体重計に乗っていました。42kgになると、直ぐに食事制限をしました。
一般的に、女子は高校生くらいで一度ぽっちゃりするものです。私にはその時期がありませんでした。
高1のとき、約1年間生理が止まりました。
高2になると体重は39kgになりました。
さすがにここで身体に不調が現れ始めました。ふらつきやめまい、頭がぼーっとする感じ。完全に栄養失調か低血糖だった思います。それでも、その頃の私は自分が「摂食障害」だなんて思ってもいませんでした。脳がおかしくなってしまっているので、自覚できないんです。本当に不思議です。
冬がとても寒かったです。思い返すとあんなに着込んでいたことが驚きですし、あんなに重ね着ができるほどに痩せすぎてしまっていたんだな…と思います。
高3になると受験勉強のために頭が糖分を欲したようで、体重は42kgになりました。すごく太ったと思っていました。でも、当時の写真を見ると顔色も悪くて、よく生きていたな…と思います。
【大学生のとき】
入学時、身長162cm、体重42kgでした。
看護を学んでいたので、BMIの計算、精神科の勉強…。そこで、私は自分が今まで摂食障害の拒食の症状だったことを自覚しました。私はもちろん、親も友人も気が付かなかった。30kg台前半とかになっていたらさすがに気がついたのかもしれないけれど。元々丸顔で、体重もそこまで減らなかったのもあって、気付きにくかったのかも知れません。
また、自分に自信がなくて、無意識のうちに「誰よりも痩せている」ことに執着してしまっていたこともわかりました。
摂食障害のチェックリストを眺めると、いくつも当てはまりました。そして、そのとき初めて克服しなくては、と思いました。摂食障害は精神疾患の中で唯一難病に指定されています。絶対に寛解させなきゃ、と思いました。
でも、そんなに簡単ではありませんでした。摂食障害において、拒食症と過食症はほぼセットです。
大学1年の夏、過食症を発症しました。
「辛い」の一言では表せないです。1年間で10kg増えました。BMIは標準ですが、急激な体重増加と過食嘔吐でむくみと倦怠感がありました。
満腹なのに食べることを止められない。
気持ち悪くなっても止められない。
最終的に太る恐怖から嘔吐する。
常に食べ物のことを考えていました。
デブなのに食べてる、と思われるのが怖くて、人前で食事を摂ることが怖かったです。
今まで唯一自信があった体型が崩壊し、私は外に出るのがとても怖くていつもマスクをしていました。周りの目がとても怖かったです。太ってる。この人過食嘔吐してる(←わかるはずがないんですけれど…)。
その頃、今の彼とのお付き合いが始まりました。一緒に食事をすることが増え、私の過食症の症状はかなりおさまりました。彼に知られたくない。そんな思いが強かったです。恋の力のおかげか、体重は48kgまで戻りました。彼も当時の私の体型を「ちょうど良い」と言ってくれたので、私は48kgを維持しようと思いました。42kgが怖かった時期が嘘のようでした。
でも、過食症は直ぐには治ってくれませんでした。最高で53kgまで増えました。さすがに5kgも増えると彼も気がつきます。
もう…限界だ…そう思って、彼に摂食障害のことを打ち明けました。「辛いね、ひとりで頑張ってたんだね」と言って、一緒に泣いてくれました。
それから、出来るだけ一緒に食事を摂れるようにと、親には言えませんでしたが、2年生の後半から半同棲を始めました。おかげで症状は少しずつおさまっていきました。部活もやっていたので時期によって48〜52kgと多少の幅はありましたが、そんなに気になりませんでした。大学4年生の時には9割方摂食障害を克服していたと思います。
結局、摂食障害のことは彼にしか打ち明けていません。でも、私のために出来ることを考えてくれて、見苦しい時期にも見捨てずに一緒に闘ってくれたことにとても感謝しています。
社会人になって、また他の精神疾患を発症してしまった私のことも見捨てずに見守ってくれていることも…
自殺未遂をしたときに私を救ってくれたことも…
妹が亡くなったときに、絶望する私を優しく包み込んでくれたことも…
この先、彼は他の女性と生きていく道を選ぶ可能性もあります。でも、彼がどんな選択をしたとしても、ずっとずっと、感謝していきたいです。
転職から1ヶ月経ちました。
今週は5連休をいただいて、後輩とテニスをしたり、先輩とランチに行ったり、自由に過ごしています。
ちょっと遅めのGWです(*^^*)
髪型をボブにしました✂︎ 中学生以来の短さです!
いつもはできないネイルもしました💅♫
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【彼と会いました】
先週の診察では、担当医に彼との最近について聞かれました。
「私が躁転していた時期がトラウマになっているみたいです。私より、彼のことが心配です。彼は大丈夫でしょうか」と伝えました。
『身体と相談しながらうまく仕事を調整していけば、なつさんは再発リスクの高い症例ではないですよ。安定した時期が続けば少しずつ彼に安心してもらえると思いますよ』と言われました。
先週、20日振りに彼に会いました。
その日私は仕事終わりで、次の日も仕事だったので夜から朝にかけての少しの時間でしたが、元気そうな彼の姿が見られて、お話もできて、嬉しかったです。担当医に言われたことを伝えると、少し安心してくれました。もっとたくさんお話したかったけれど、疲れて直ぐに寝てしまったのでちょっと後悔…。
あと、「急激に痩せすぎだよ…」と心配されてしまいました。周りの人は気が付かないけれど、親や彼は私のことをよく見てくれているんだな…と感じました。ありがたいです。私も正直身体がしんどいので、早くお薬が効いてくれることを祈ります…。
来月は尾瀬にハイキングに行けたらいいね、と言ってくれました。少しずつ彼の信頼を回復できるように、出来る範囲で頑張っている姿を見せていきたいです。
【睡眠薬】
最近、前職のことがフラッシュバックして寝付けないことがあります。予後が悪い方が多い病棟勤務だったので、人が亡くなることがとても多く、当時のことを思い出すと今でもとてもしんどいです。
私が病気になってしまった一番の原因は「人が亡くなることのショック」だったのかな、と今になって感じています。
次の日が仕事の場合は支障が出てしまうので、睡眠薬を飲んでなんとか寝ます。まだ頓服でブロチゾラムが必要です。
【パニック症状】
先日、薬局でお薬の調剤を待っているとき、とても声の大きなおばさんが来店して頭がおかしくなりそうになりました。心臓がバクバクして、耳を塞ぎたくなって、その場から逃げ出したくなりました。
深呼吸したり違うこと考えたりしてなんとか乗り切りましたが…
電車に乗った時と同じような、パニック症状みたいな…
私のプチパニック誘発要因を突き止めたいです(;ω;)
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いつもは週2〜3日勤務ですが、先週は週4日勤務でとても疲れました。これを続けたら身体持たなそう…と感じました。まだWワークは難しい、と実感しました。
これから、ゆっくり時間をかけて身体を慣らしていこうと思います🍀
彼との最近。過敏性腸症候群。医療事務の勉強。
2018.05.04
大学時代の友人と久々の再会。
みんなそれぞれの場所で頑張っていました。
私も、私のペースで頑張ろう!
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★本日の内容
【彼との最近】
【過敏性腸症候群と体重減少】
【医療事務の勉強をすることをやめました】
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【彼との最近】
5日前、彼にLINEを送りました。
『心身健康な人をパートナーに選びたいって思うのは、普通のことだと思う。私の意見ばっかり押し付けてたなって反省した。
一生懸命考えて出してくれた結果がどっちだとしても、あなたが幸せで居られることが私の一番の望みだから、私はあなたに固執するのを辞めようと思う(^^)
大切な人の幸せを考えられないとか、私、狂ってたね、ごめんね🙏
返信は要らないです。
残りのGWも楽しんでね。』
それから連絡は全くなく…。
寂しいな、と思ってしまいます。
「お仕事お疲れさま」だけでもいいから。
何か一言だけでもいいから。
抑えても抑えても、堪え切れない思いがあります。やっぱり、好きなものはどうしようもないですね。「期待するな、するな」と自分に言い聞かせても、どうしても彼からの連絡を心待ちにしている自分がいます。
私からはしばらく連絡して来ないで、とのことなのでただ待つのみですが、替わりに仕事に力を入れて頑張っています。会う予定だった日は勉強をして。それが、遠回りのようで、近道であることを信じています…。
4日前(彼と最後の連絡を取り合った翌日)、久々に躁状態がやって来ました。
飼い猫が棚の物を落としただけなのに、いつものことなのに、無性に腹が立って猫を布団に投げ飛ばしてしまいました。何ヶ月ぶりでしょうか…。動物に当たるとか最悪。そんな自分が恐ろしい。怖い。嫌だ。助けて。誰か止めて。
順調に抗躁薬、減薬できていたのに…今週の診察で担当医に相談しようと思います。
仕事のストレス。プライベートのストレス。
どこかで頑張ると、どこかでガタがくる…。
まだ、感情のコントロールが難しいのだと思います。客観的に自分を見られているので、まだ良い方かな…。
【過敏性腸症候群と体重減少】
なんだかんだでお腹の調子も安定しない日が続き(過敏性腸症候群)、2ヶ月で52㎏あった体重が45㎏まで減りました…。BMIも標準以下になっているので流石にしんどいです。
一度職場で顔色が悪いと指摘され、昼休憩を横になって過ごしました…。その後の仕事にはなんとか支障を来たさなかったので、他のスタッフに迷惑を掛けずに済んで良かったです(*´−`)
職場で御手洗いに行く回数を減らすために、朝昼はカロリーメイトとウイダーでなんとかしのぎます。特に午前中は前職の名残りで嘔気があるのでなかなか大変です。
夜は小さくなった胃に出来るだけ食事を詰め込む、といった感じですが、流石にこの食生活では体重は減る一方なので、何とかならないか、次の診察で担当医にお薬の変更か増量の相談をしたいと思います。
さとちゃんさんに教えていただいた【豆腐チーズのオリーブオイル塩コショウがけ】が美味しくて、何度も食べました(*^^*)
簡単で美味しくて食欲がないときでもペロリと食べられます✨次のお買い物でも買ってきます♫
【医療事務の勉強をすることをやめました】
医療事務の本を某アプリに出品しました!
10冊ほど購入しましたが、多分もう使わない…です。一時期は「看護師を辞めて医療事務になろう」と思い勉強しましたが、やっぱり私は看護師を続けよう、と思ったので。転職して、同じ資格でもこんな働き方ができるんだ…と、驚いています。
こんまり先生の本に、『ときめかないものは捨てちゃえ、必要になったらまた買えばいい』と書いてあったので、思い切って処分です。中古で安く購入したものもありますが、定価で購入したものもあり勿体ないけれど…ずっと本棚に眠らせておく方がスペースを取ってしまい、勿体ないです。
ちょっと寂しい気もしますが、今後やりたいことも少しずつ見えてきているので、そのためにも一度手放してみます。
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さて、今週はなぜか週4勤務なので(いつもは2〜3日/週)体調管理をしっかりしたいと思います!
将来が見えない不安…
病気になる前の私。
あの頃に戻れたらいいのに…。
ズタボロな記事なのでご注意ください(^_^;)
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前回の記事で、たくさんの方からコメントをいただきました。その中で、ハッとしたことがあったので、一部抜粋させていただきます。
『寛解したと思ってもあっというまに再発します。週5日フルタイムですぐに病状悪化しました。メンタルの病気は半永久的につきまといます。彼氏さんが継続的な心身の健康をなつさんに求めるのなら、それに対するサポートを要求したっていいと思います。1年やそこらでメンタルの病気、ましてや双極性障害のコントロールは難しいです。心身最優先で、周りに合わせすぎないようにしてください。それでつぶれた人を何人も身近に知っているので…』
私の疾患は「完治」ではなく「寛解」という曖昧な表現を使うこと自体が、再発の可能性が高いことを示唆していて、本当に怖いです。
私はコメントくださった方の仰るとおりで、彼の要望に応えようと必死でした。私が自分でなんとかしなければ、とずっと思っていました。彼に協力してもらう、という新しい考え方を知ることができました。
まずは自分を潰さないことを第一優先にしなければ。
再発を予防できる働き方を今後彼が理解してくれると良いのですが、話してもなかなか理解が得られないので難しい…と感じています。心身健康な人をパートナーに選びたい、と言う彼の気持ちも普通のことだと思うので、苦しいです(><)
今後一緒になりたいですが、最終的には彼が決断することなのでどうにも出来ません。今は彼を信じて、私は今のパートを体調を崩さない程度にそこそこに頑張って、少しでも良い未来になるように日々精進することしかできません。
彼は私と1年以内に別れるかどうかを決めるようです。
私は居ても居なくても良いんだ…。
自分がこんなに必要とされていなかったなんて気が付きませんでした。
5年以上も付き合っているのは大事にされているからだと思っていました。
彼に必要とされていることだけが、自尊心の欠片も無い私のたった一つの自信だったのに…。
再発しちゃダメ。
週5日フルタイムじゃなきゃダメ。
「その要望、どっちも叶えるのは難しい可能性もあるんだよ?どっちが大事なの?」と聞いたら「私の身体」と。週5日フルタイムを選ばれなかったのがせめてもの救いです。
後々は週5日フルタイムで頑張る予定ですが、体調によっては再度パートに切り替える必要が出てくる可能性もあります。臨機応変に対応していく働き方でも、彼の求める相手としては不可かも、と言われてしまいました。
私に出来る最大限なのに…。
それ以上、どうしろと?
そこで、いつもアドバイスをいただいている方に相談させていただいて、ブログを書いていることを彼に打ち明けることにしました。
「今まで言わなかったけど、ブログに記録があるから私の気持ちも少しで良いから理解して欲しい」と伝えてみました。
でも、私の気持ちどうこうじゃなくて「今後の自分の生活とか将来を考えるのが優先だから、読まない」と言われてしまいました。
私の気持ちはどうでもいいの…⁈
冷たいよ…
もっと理解のある人だと思っていました。
悲しい。悔しい。
最近、私の今後について話して、普通の人と同じように生きていくのは難しいかもしれない、と分かった瞬間から掌返したように変わってしまったように思います。
一応、聞いてみたことがあります。
私「私、あなたと別れたら今後需要あると思う?」
彼「まー、探せばあるんじゃない?」
完全に離れてる…。
そして、本人も自覚していますが、人が傷ついているのに気が付かないところが彼の欠点だなー…と改めて思ってしまいました。
「暫く考える時間が欲しい」と言われていますが、絶対に手放したくないと思うなら、そんなに考える必要ないよね…?と思ってしまいます。私の存在ってその程度だったんだ…と、悲しくなりました。
私の病気が悪いのでしょうか?
私のもとからが悪いのでしょうか?
私に「普通」を求めるなら、別れたほうがいいよ。
私が最大限に努力してもダメと言うならどうしようもありません。
彼が何をどのくらい考えたいのかよくわかりませんが、話しても拉致があかないのでこちらから連絡するのはひとまず控えようと思います。
気が向いたら連絡してくるでしょう…。
彼の答えは期待せずに待ちます。
なるようにしかなりません…。
ボロ雑巾のようなズタボロな記事ですみません。
パートに5日間行けました。
彼と私、お互い社会人になって初めてのお出かけでした。水族園に行きましたが、観覧車もきれいだったので写真を撮りました。フェアリーペンギンがとっても可愛かったです♡
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先週から看護師のパートが始まりました。土日祝中心の月10日フルタイムのパートです。一昨日までに5日間勤務しました。
久々の採血。新しい環境。
とても疲れてしまって、毎日9時間睡眠していました。起床時のめまいや嘔気もやっぱりあって、「仕事に行く」ことに対するストレスを感じました。やっぱり、働くって、怖いです…。
でも、転職して良かったと思います。病棟のような過度に張り詰めた緊張感や、キャパオーバーな仕事内容から解放されました。サービス残業もぐっと減りました。スタッフの仲が良いので、人間関係も良さそうです。これからは週2〜3日の勤務になりますが、なんとかやっていけそうな気がしています。まずは、採血の成功率を上げなければ…‼︎
5日間で15人中2人も失敗してしまったので、自分の技術の未熟さにかなりショックを受けています…(><)
でも、きちんと採取できたときの喜びは大きいです。以前の職場では、自分が行ったことでこんなに嬉しいと思えた事はなかったです。仕事の達成感を初めて味わいました。
ちなみに、Wワークを希望していたのでもう1ヶ所クリニックの看護師に応募していたのですが、そちらは面接の結果不採用でした。今思えば不採用で良かったです。今の私に2つの仕事をこなすのはキャパオーバーです( ̄▽ ̄;)
6月まではここのパートだけで身体を慣らしたり勉強したりして、7月以降にもう1つパートを増やせたらいいかな、と思っています。
自分が元気に生活できて、仕事もそこそこに。できること、やりたいことをやっていこうと思っています。生きているのが辛くなるのはもう嫌です…。
そして今、悩みがあります。土日祝中心のパートなので、公務員の彼と休みがほとんど合わないことです。「本当は休みの日に会いたいけど、なつがやりたいと思えた仕事なら応援するよ」と彼が言ってくれて、私も会える機会が減ることを覚悟の上で決めた仕事ですが、やっぱり寂しいことには変わりないです。先日はたまたま私がお休みだったので会えたのですが、次会えるのはいつになるの…と、別れ際にこれでもかというほど泣きました。
彼は今のところ、私に定年まで正社員フルタイムで働くことは求めていませんが、「それができる程度に心身が健康な人じゃないと、これから先、一緒に生きていく相手としては選べない。ごめん。でも、応援してるから。1年は待つから。」と言われています。
私の目標は、今年度中に週5日勤務ができるようになることです。彼に認めてもらえる人になりたい。
毎日おかえりとただいまを言って、一緒にごはんを食べて、一緒に寝て…彼と一緒に暮らせる、そんな幸せな生活を夢みています。
1年後の私はどうしているのかな…?未来の自分を知りたいです。今までは1日1日が過ぎていくのは自分だけが取り残されているようで怖かったのですが(1年5ヶ月、仕事ができない状態だったので)、今は1年後にタイムスリップしたい気持ちです。
今日明日は休みですが、明後日からまたお仕事です。過敏性腸症候群でお腹の調子も悪いし、緊張性の頭痛や肩こり、めまいや嘔気もあるので、自分の身体とよく相談しながら無理せずにやっていきたいと思います。
今はゆっくり休む時期の方。
少しずつ動けるようになってきた方。
復職・転職された方。
自分でそれぞれの段階を経験してきたので、それぞれの大変さが少しはわかるようになったと思います。どの段階でも、大変です。
今までは、友人やブログやTwitterで、復職・転職していく方をみて「仕事ができるまで回復した人ってすごいな…私はまだまだ全然ダメだな…」と思っていました。
でも、仕事ができる状態だからすごいという訳でもないんだな…と思いました。
それぞれの段階で苦しみがあるので、その苦しみと闘っていること自体がすごいこと。
私と同じように考えていた方も多いと思います。「働けない自分」は悔しいですし、社会から取り残されている…社会の役に立っていない…みんなはできるのに私はできない…たくさん悔しい思いをしてきました。
でも、大丈夫。何もできないと思っても、生きているだけで周りから必要とされていました。存在価値のない人なんていない。私にも生存価値があるから、生きていて大丈夫。
自分を責めずに、少しずつ前進したり、後退したり。これからは幸せのために生きていきたいです。
ほぼ寛解した私。パートが1つ決まりました。
先週、友人とカフェへ。
重かった…歳でしょうか( ̄▽ ̄;)
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2018年3月31日、2年間在籍させていただいた職場を退職しました。
本当は退職したくなかったです、やっぱり。
泣きながら手続きをして、大好きな新人教育担当の方に、泣きながら謝りました。でも、私の決断を受け入れてくれました。
今の自分はハードルが高い病棟ナースとして復帰できる状態ではない。もっと時間がかかる。それならハードルを低くして、出来ることから始めよう。
約1年間、たくさん悩んでたくさん考えて出した答えです。
2016年11月末から休職していたので実際に働いたのは8ヶ月弱ですが、看護師として、また、社会人として学んだことは今後の人生の糧になると思います。
また、休職期間も無駄な時間ではなかったと思います。自分と向き合う、大切な時間だったと今なら思えます。自己肯定感が低くて自信がなかった自分。
『自信』って、自分にできることとできないことをそれぞれ認めてあげることなのかもしれない…と感じました。
実際の意味は違うかもしれませんが(><)
病気になる前の自分より、私は強くなったと思います。あんなにしんどいのを乗り越えたんだもん。
でも、病気にならなかったらならなかったで、また違った強さを手に入れていたと思います。過去のことを後悔してもどうしようもないのですが、でもやっぱり、病気にはなりたくなかったです。当たり前のことですが( ̄▽ ̄)
3月からパートですが就活をして、3つ目に応募したところでやっと採用が決まりました。来週から仕事が始まります。休職中、何度も私は看護師に向いていない、辞めよう、と思いましたが、結局原点回帰です。やっぱり、私は医療に関わりたいみたいです。私もびっくり、周りもびっくりです(´⊙ω⊙`)
パートを掛け持ちする予定なので、もう1つどこかに採用していただけるよう頑張りますが、就活のストレスから胃腸の調子が悪くなり(過敏性腸症候群です)、体重が4〜5kg減ってしまったので、適度にやっていきます(^_^;)
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振り返ってみると…
適応障害。
しんどかったです。
死にかけたこともありました。
生きていて良かったです。
義務教育皆勤賞の私の体調がめちゃくちゃになるとは…という感じでした。
吐き気。
めまい。
頭痛。
肩凝り。
脱毛。
ストレス性蕁麻疹。
扁桃腺炎。
集中力の低下。
声が出ない。
食欲低下。
倦怠感。
顔色が悪い。
………等々。
ストレスと原因はいろんなことが重なったんだろうな…と。よく聞かれますが、ピンポイントで“これが嫌だった”というのは何なのかわからないです。あとは、所々記憶がなくなっているのでよく覚えていません。
私は症状が出る度に内科に通いましたが、悲しいことに、どの医師も心療内科に行くように勧めてくれませんでした。
私自身も、心身の疲労によるストレスをきちんと自覚していませんでした。新社会人はみんな大変なんだ、みんな辛いんだ、みんな身体に不調を持ちながら頑張っているんだ、と思っていました。上司にもそのように言われていたので、「そういうものなんだ…慣れるまで耐えるしかないんだ」と、気付かないうちに無理を通り越して壊れていました。
以下は初めての心療内科で言われたことですが、私はとても良い医師に出会えたと思います。
『辛いとは言っても、その人によって辛いの度合いは全然違うんだよ。こんなに症状が出ているのによく働いていたね。診断書出すから、今日から好きなだけ休んでね』
初診から1年5ヶ月経過しました。
体調の波はありましたが、外出、復職訓練、早寝早起き等、医師の助言をもらいながら少しずつ体調を戻していきました。
特に、両親や彼にはとてつもなく迷惑をかけました。特に躁状態のときの私は最悪な人間でした。彼の心身をとても傷付けました。謝っても謝りきれないです。本当にごめんなさい。
それでも私を見捨てずに「いつか寛解する」ことを待ち続けてくれたことに本当に感謝しています。
また、たくさんの方からメッセージをいただきました。相談にも、のってくれました。今の私があるのは周りの人たちのおかげです。
今は、ほぼ寛解して定期的に通院しながら少しずつ減薬している段階です。
これからは自分の疲労度メーターを把握して、「幸せ」のために仕事をしていきたいです。
もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、長文失礼しました。
読んでいただきありがとうございます。
絶賛就活中!(パート探し)
写真は3月末に行った、
毎年恒例の🍓いちご狩り🍓と🌸お花見🌸です。
お花見にはたくさん犬のお散歩をしている方がいて、たくさん触らせていただきました☺︎
私が動物好きなのがワンちゃんにも伝わるのか、かなりの確率で向こうから寄ってきてくれます。猫も可愛いですが、犬にもまた違った魅力がありますね❣️
夕食は春の山菜ウドを含めた天ぷらを作りました。3月最後に素敵な思い出がまたひとつ、増えました☺︎
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前回の記事を書いたときは、2つ目のパートに応募したところでした。その後面接を受けたのですが…落ちました。
1年以上休職していたことや、現在はパートで働ける程度までは回復していることは納得してもらえました。また、応募した職への適応性に関しても問題なくクリアしたのですが…
「学歴が高くて雇えない。看護師の資格があるならもっといい条件で働けるよね?」
私を雇ったら、「こちらが周囲から反感を買うから無理」と言われました。えーーー、そんな…ど直球で言わなくても良くないですかー(T-T)
それに、資格があったら使わなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー(T-T)
なかなか理解してもらうのは難しいです。
予想はしていましたが、この人手不足の世の中で正社員ならまだしも、パートで2つ落ちるとは…
なかなかやるな私!笑
でも、
頑張るもん!
何とかするしかないもん!
落ちる度に泣き、何に応募したら良いかわからなくなっては泣き、就職で他県に行った彼からLINEが来ては安心して泣き…
でも、できることが増えてきて挑戦して、難しいことに直面している結果だと思うので、きっといつかはプラスに変わる涙なんだろうな…と思っています。
また、就活も受けないよりは受けて落ちた方が経験値UP↑に繋がると思うので、果敢に挑戦していきたいです。
最近、落ちる度に、なぜか更に難易度が高そうな求人に応募していることに気がつきました。
落ちてはいるけど、面接に対する自信がついてきたのかな?
他人と関わることに対する恐怖心が薄れてきてるのかな?
一昨日は、その前日にハローワークで手配してくださったところに履歴書を送りました。
今度は看護師の資格が活かせるところです。月の勤務日数がフルタイムで10日程度とのことで、週2〜3日なら頑張れるはず!と思い、決心しました。
本当にここ2週間くらいの変化なのですが、「業務内容が少ないところなら、看護師の資格が活かせるところでもいけるかも」と思うようになりました。
あんなに拒否していたのに…
自分でも気持ちの変化に驚いています。
書類選考を通過すれば、面接と筆記試験を受けさせていただけるようです。選考に約1週間かかるようなので、もう1つくらい応募しながら連絡を待ちたいと思います。
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最近、お仕事探し→応募→履歴書→面接→落ちてショック…と、疲れ気味で食欲不振だったり、食べることを忘れてしまったりです。
過敏性腸症候群も再燃してしまいました。
2週間前に診察の時に測った体重より4キロ減っていたので、BMI値はまだ標準なので大丈夫なのですが、きちんと体調管理をしないと今後身体が持たない!と感じました( ̄◇ ̄;)
無理しない程度に、焦らずに、少し休みを挟みながらやっていきたいと思います。
🌸春は体調を崩しやすい季節なので、皆様もお気をつけください🌸
彼の卒業式と、彼の引っ越し
今週は、彼の大学院の卒業式があり、彼の引っ越しのお手伝いもしました。
【🌸彼の卒業式🌸】
卒業式では彼の友人にも会えて嬉しかったし、みんな輝いていて素敵でした。
男の子はカッコ良くスーツで決めて。
女の子は綺麗に袴で決めて。
みんな就職も良いところに決まって、夢と希望に溢れていました。
私の境遇を知らない人がほとんどなので、「あれ?彼女さんは働いてるんだよね?」と聞かれて、彼の評価を下げたくない気持ちでいっぱいになってしまい、言葉に詰まってしまいました。
そのとき、私のことをよく理解してくれている彼の友人が、
「今のところは3月で退職して、今は転職活動中だよ。」
と代わりに答えてくれて、とても助かりました。
病気のことや休職のことを話さずうまくかわしてくれて本当にありがとう…と思いました(>_<)
彼は本当に素敵な友人に恵まれたんだな、と改めて感じました。
たまにしか会わない私にも良くしてくれて…。
彼の隣にいて恥ずかしくないような人になれるように精進していきたいと、改めて決意しました。
早速昨日は両親や彼と相談して、2つ目のアルバイトに応募しました。医療機器メーカーの事務と機器の洗浄等を行うようです。面接まで辿りつけることを祈って、現在連絡待ちです。
音楽関係のアルバイトは、負担が大きい割に収入が少なすぎるとの理由で、担当医からも彼からも反対されて、結局諦めることにしました。
今は諦めるけれど、結婚後や出産後等、将来少しでも仕事にできたら良いなと思っています。
前回の記事にコメントくださった方のお言葉で希望の光が見えて嬉しかったので、完全には諦めていません!
あとは、日々の日記やこちらのブログでの情報発信を継続して、いつか私の闘病記をまとめられたらいいな、なんて思ったり。
【🎁彼の引っ越しのお手伝い🎁】
この時期の引っ越しは値段がとても高いので、業務用の車を借りて、2人で全部運びました。レンタル代とガソリン代、高速代を合わせて2万円弱でしょうか。
今、とても身体が痛いです( ̄▽ ̄;)
でも、とても良い運動になって、今後こんなにゆっくり話すことも少なくなるんだな…と思うと、彼と2人で過ごせることも嬉しかったです。
公共交通機関で1時間ちょっとの距離なので、月に1〜2回は休みを合わせて会えるかな…?
4月からは彼も社会人なので、私も負けずに(まだまだいろいろ負けているけれど…😅)頑張っていきたいです。
・フルタイムで働けるようになること(できる限り正規雇用を目指すこと)
・自立した生活ができること(病気になる前に出来ていたことが出来るようになること)
以上が今後一緒になるための条件だそうです。
都会に出て行って、素敵な女性がたくさんいるので目移りしたりして…笑
負けないように頑張ります💪
*****追記*****
写真は彼の卒業旅行のお土産です。
いつも香水は¥2,000以下と決めて購入していたので、フランスの素敵なお土産に大喜びです。
チョコレートは、本場ベルギーで購入してくれたみたいです。
物のチョイスも嬉しいけれど、私のために選んでくれた気持ちがとても嬉しいです。
私は、幸せ者だなぁ…
アルバイト1つ目、不合格の巻
先日応募したアルバイトは、やはり精神疾患に理解がなかったようで、通りませんでした。
何となく感じていたんです…
この面接担当、理解なさそう…
私の居場所はここじゃないかも…、と。
「人生、なんとかなる」
と思って生きていますが、
いざ壁にぶつかると凹みますね…
わかってはいても、落ち込んで何日か泣きました( ̄▽ ̄;)
「アルバイトなんかで落ちちゃってごめん、情けないわ…」
と彼に連絡しました。
「そっかー。残念だけど、病気のことを伝えた上でとってくれるところじゃないとしんどいと思うので、全然大丈夫!次行きましょう👌」
と返信が来ました。
少しは理解してくれてるんだ…と思ったら、嬉しくて泣きそうになりました。
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昨日、2つ目のピアノの講師のアルバイトに応募しました。
かなり技術が要るものですが、小中高と習い事をしていたものなので、頑張ればできるかもしれない、との希望を込めて。
かなりブランクがあるので、昨日から技術と勘を取り戻すために練習を開始しました。実際、指が動かなくてしんどいです…。
それと、アパートでキーボードしか置けないので、本物のピアノで弾きたくてうずうずしています(><)!
実際、大学進学の際に看護の道か、音楽の道かを迷ったくらいなので、もしここが駄目でもいつかはやってみたいな、と思える職業です。
大学在学中も、就職してからも、休職してからも、音大に進学していればこんな苦労はしなかったんじゃないかと何度も思いました。
でも、ここに居なかったら大切な友人にも、大好きな彼にも、後輩たちにも、会えていなかったんだと思うと、不思議なものです。
きっと、この道で間違ってはいなかったんだと。
軌道修正は今からでも遅くはないと。
周りの環境が私の味方をしてくれている気がします。
よし、また気持ちを切り替えて頑張ります!
病気になって失ったものもあるけれど、得たものもある。
先週、アルバイトの面接を受けました。
結果は今週。
病気と闘うありのままの私も、ここで頑張りたい気持ちも、伝えてきました。
病気は不利だけど、採用後に困るのは相手だけじゃなくて私もだから…
まだまだ精神疾患や転職に理解の薄い世の中だから、あまり期待はしていないけれど、通ったらいいなぁ…
少しどきどきしながら結果を待っています。
病気になって、たくさんつらい思いをしてきたし、周りの人にもたくさん迷惑をかけてきたけれど…
今だから思える。
得たものも、たくさんある。
最近そんなことを考えていたら、主治医の先生に同じことを言われて、あ、私、間違ってなかったんだな、と思えました☺️
私はいつも、NEWSの小山くんから元気もらっています✨
こんなに誰かが輝いて見えるのも、病気になったおかげなのだと思います。
小山くんは『俺、今、超幸せだよ‼︎』とラジオで言っていました。
確かに「幸せ」って思って生きていたら、周りも幸せに巻き込めそうです😊
同じ世代に生まれてこられて、私はなんて幸せなんだろう❣️
小山くんを見ていると、自分に嘘をつかないで生きていくことの大切さが伝わってきます。
NEWS解散の危機という壁があって大変な時期もあったけれど、小山くんも、乗り越えたときに見えたものがあったのかな。
私は今まで自分で自分を縛り付けて生きてきて疲れてしまいました。
そろそろ解放の時期なのかな?と思っています。
両親は、妹の件があったためか、私も死なすわけにはいかない、と必死になっているように見えます。
「好きなようにして良いんだよ」と言ってくれます。
だけど、彼は「国立大卒として勿体ない」と言います。
そこそこ良い大学を出たけれど、地頭が良かったのではなくて、ただ、人一倍努力した結果なんだよ…私の才能は努力できることだけ。
これからもずっと人一倍の力で生きていったら、心身もたない…病気になって、よくわかりました。
だから、学歴関係なく好きなことをやりたい。
高学歴の彼にはなかなか理解してもらえない部分です。
彼は自分が思ったように物事が進まないと納得できない性格ですが、今後一緒に人生を歩むなら、理解が必要です…💧
今春から彼も社会人なので、少しは理解してくれるかもしれません。期待外れは悲しいのであまり期待していませんが…💧
今後、将来の方向性が違ってしまったら、大好きでも別れることも仕方がないかな、と思っています。
一人の人間として、私にも幸せを求める権利があるんだと思えるようになりました。
いつも、「人の役に立ちたい」と考えて、結局「人の役に立つ仕事の究極は医療だ」と、勝手に決めつけていました。
「自分のために生きる」という選択肢が、今までの私の中にはなかったのだと思います。
今日は、病気になって自分と向き合って今までに考えたことや、得たものを綴ってみました。
退職手続きをしてきました。
本日、泣きながら退職手続きをしてきました。
今年度で退職になります。
泣きながら手続きをする人っているんでしょうか…。
上司に元々大学のときの先生がいるのですが、「優秀で真面目な学生さんだったのを見てきたから、正直、勿体無い」と言われました。
こんな私でも、社会から必要とされているみたいです。
需要があることに喜びを感じながらも、今の私には難しいということを伝えました。
応えられない自分が悔しくて、泣きました。
「優秀で態度も良かったから、先生方みんな、なつさんのこと覚えていると思うわよ」
「先生は大人しい子とか元気な子とかで判断してないから、ちゃんと一人ひとり見てるから」
今まで、自己否定ばかりしてきました。
でも、この言葉でどれだけ自分を認めることができたか。
もっと自信を持って生きていきたい。
もっと自分を好きになりたい。
上司が、私をこのように見ていてくださったことに、そして、私に伝えてくださったことに感謝です。
でも、無理をして復帰せず、新たな道に進むという、ある意味自己防衛の判断をした私を、引き止めずに受け止めてくださった上司。
ありがたいと思いました。
でも、
働けなくなってしまった自分が悔しい…
もっと長く働き続けたかった…
この想いが消えることはないと思います。
担当医にも、看護師に戻るのにはまだ時間が必要だと言われており、これ以上待ってもいつ復帰できるかわからず、不安でいっぱいでした。
今、出来ることから始めていこう。
待っていても始まらない。
そして、やっと決断できました。
以前の記事に記載したように、適応障害だけではなく、双極性障害も併発していたことを、今月、担当医から告知されました。今は、躁状態は脱したようです。
週20時間未満のアルバイトはOKが出たので、
(それ以上働くと失業保険の適用外になるし、何よりもそれ以上働けるほど回復していません…)
不安と緊張でいっぱいですが、これからはエントリーや面接等、頑張っていきます。
2年間在籍したことになりますが、実際に働いた期間は8ヶ月弱です。
それでも、今思えば、この2年間は働いていた期間はもちろん、休職してからも、私を成長させてくれた大切な時期だったのだと思います。
少しずつ、前に進んでいるはず。
頑張れ、私。