ほぼ寛解した私。パートが1つ決まりました。
先週、友人とカフェへ。
重かった…歳でしょうか( ̄▽ ̄;)
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2018年3月31日、2年間在籍させていただいた職場を退職しました。
本当は退職したくなかったです、やっぱり。
泣きながら手続きをして、大好きな新人教育担当の方に、泣きながら謝りました。でも、私の決断を受け入れてくれました。
今の自分はハードルが高い病棟ナースとして復帰できる状態ではない。もっと時間がかかる。それならハードルを低くして、出来ることから始めよう。
約1年間、たくさん悩んでたくさん考えて出した答えです。
2016年11月末から休職していたので実際に働いたのは8ヶ月弱ですが、看護師として、また、社会人として学んだことは今後の人生の糧になると思います。
また、休職期間も無駄な時間ではなかったと思います。自分と向き合う、大切な時間だったと今なら思えます。自己肯定感が低くて自信がなかった自分。
『自信』って、自分にできることとできないことをそれぞれ認めてあげることなのかもしれない…と感じました。
実際の意味は違うかもしれませんが(><)
病気になる前の自分より、私は強くなったと思います。あんなにしんどいのを乗り越えたんだもん。
でも、病気にならなかったらならなかったで、また違った強さを手に入れていたと思います。過去のことを後悔してもどうしようもないのですが、でもやっぱり、病気にはなりたくなかったです。当たり前のことですが( ̄▽ ̄)
3月からパートですが就活をして、3つ目に応募したところでやっと採用が決まりました。来週から仕事が始まります。休職中、何度も私は看護師に向いていない、辞めよう、と思いましたが、結局原点回帰です。やっぱり、私は医療に関わりたいみたいです。私もびっくり、周りもびっくりです(´⊙ω⊙`)
パートを掛け持ちする予定なので、もう1つどこかに採用していただけるよう頑張りますが、就活のストレスから胃腸の調子が悪くなり(過敏性腸症候群です)、体重が4〜5kg減ってしまったので、適度にやっていきます(^_^;)
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振り返ってみると…
適応障害。
しんどかったです。
死にかけたこともありました。
生きていて良かったです。
義務教育皆勤賞の私の体調がめちゃくちゃになるとは…という感じでした。
吐き気。
めまい。
頭痛。
肩凝り。
脱毛。
ストレス性蕁麻疹。
扁桃腺炎。
集中力の低下。
声が出ない。
食欲低下。
倦怠感。
顔色が悪い。
………等々。
ストレスと原因はいろんなことが重なったんだろうな…と。よく聞かれますが、ピンポイントで“これが嫌だった”というのは何なのかわからないです。あとは、所々記憶がなくなっているのでよく覚えていません。
私は症状が出る度に内科に通いましたが、悲しいことに、どの医師も心療内科に行くように勧めてくれませんでした。
私自身も、心身の疲労によるストレスをきちんと自覚していませんでした。新社会人はみんな大変なんだ、みんな辛いんだ、みんな身体に不調を持ちながら頑張っているんだ、と思っていました。上司にもそのように言われていたので、「そういうものなんだ…慣れるまで耐えるしかないんだ」と、気付かないうちに無理を通り越して壊れていました。
以下は初めての心療内科で言われたことですが、私はとても良い医師に出会えたと思います。
『辛いとは言っても、その人によって辛いの度合いは全然違うんだよ。こんなに症状が出ているのによく働いていたね。診断書出すから、今日から好きなだけ休んでね』
初診から1年5ヶ月経過しました。
体調の波はありましたが、外出、復職訓練、早寝早起き等、医師の助言をもらいながら少しずつ体調を戻していきました。
特に、両親や彼にはとてつもなく迷惑をかけました。特に躁状態のときの私は最悪な人間でした。彼の心身をとても傷付けました。謝っても謝りきれないです。本当にごめんなさい。
それでも私を見捨てずに「いつか寛解する」ことを待ち続けてくれたことに本当に感謝しています。
また、たくさんの方からメッセージをいただきました。相談にも、のってくれました。今の私があるのは周りの人たちのおかげです。
今は、ほぼ寛解して定期的に通院しながら少しずつ減薬している段階です。
これからは自分の疲労度メーターを把握して、「幸せ」のために仕事をしていきたいです。
もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、長文失礼しました。
読んでいただきありがとうございます。