紅葉の季節🍁
昨日はハロウィンでしたね。
私は、日光に紅葉を観に行ってきました🍁
写真は昨日のものです。
ちょうど昨年の今頃、休職しました。
もう1年経つんだなぁ…
私は何になりたいんだろうなぁ…
これからどうしていけばいいのかなぁ…
いろいろ考えてみましたが、はっきりした答えは出なかったです。
人の役に立ちたくてなった看護師…
せっかく国家資格もあるのに…
最初はそう思っていましたが、資格に囚われなくてもいいんじゃないかと思っています。
なんとなくですが、
福祉関係
動物関係
医療事務
この辺が私のやりたいことなのかな?と思ったり、悩んだりです。
でも、医療事務の本は随分前に購入したのですが、全く開かず今に至ります…。やっぱりやりたくないのかな?とか。
いつかやりたいことは降ってくるんだと思っていましたが、なかなか降ってこないですね…笑
いつか降ってくるんでしょうか?
追伸
読者登録していない方でもスター★を付けてくださる方がいらっしゃって、大変嬉しく思います。
読んでくださってありがとうございます。
私の癒し。アニマルセラピー
写真は、2016年6月から家族になった三毛猫の「にゃんこ」です。
上の写真はうちに来たばかりの頃。
一人暮らしの私にとって、にゃんこは大切な家族であり、私の心を癒してくれる存在です。
担当医曰く、動物と暮らすことは癒しの効果だけでなく、ごはんをあげたり、排泄物の世話をしたり、遊んであげたりと、復職に向けて必要な力を養うためにも良いことだそうです。
うちに来た時には600gだった体重が、今では3kgです(^^)
大きくなっても、可愛い…
↓コタツに入っています。笑
図書館通い(2017年9〜10月)
復職に向けて、図書館に通うことから始めるのを推奨されたので、現在実践中です。
初めは2時間くらいから。
調子の良い日は3時間くらい滞在できるようになりました。
週3日×3時間を目標にしているのですが、調子が悪かったり、集中力が続かなかったり、他に予定が入ってしまったりで、なかなか難しいのが現実です。
一時期図書館ノイローゼのような症状になりました(笑)
行かなきゃ、
3時間は居なきゃ、
今日も行けなかった、
今週もダメだった、…
でも今は悲観的にならず、その日にできることをやっていくスタイルで生活しています(^^)
目標を達成することだけが大事なんじゃなくて、その過程が大事なんだと、担当医や産業医から言われて、心が軽くなりました。
根本にあるのは、やっぱり、「真面目な性格」なんだと思います。自分で言うのも何ですが(笑)
紅葉🍁でも眺めながらちょっと肩の力を抜いて、11月も過ごしていきたいなぁと思っています。
写真は後輩に誘われてDisneyに行った時のものです(^^)
10月は2回も行ってきました!
妹の死(2017年6月〜9月)
本当は思い出したくない。
だけど、私の人生で欠けてはならない大切な存在だったから。
こんな形でごめんね。
だけど、姉ちゃん、あなたが存在していたことを記録に残すからね。
タイトルの通り、私の妹は亡くなりました。21歳でした。若すぎます。
死因は、睡眠薬の多量摂取後の嘔吐による窒息死でした。
妹も、精神疾患で入退院を繰り返していました。退院した矢先の出来事でした。
私も4月に睡眠薬の多量摂取で自殺未遂をしています。
私は助かったのに。
妹は助からなかった。
なんて不公平。
私が死んで、妹が助かって欲しかった。
警察から電話が来て、私は「嫌だ、嫌だ、嫌だ…」とずっと泣き続けました。
冷たくなった妹に触れたときにも、「何であなたが死ななきゃいけないのよ!他に死んだほうがいい人なんかいっぱいいるでしょ!」と叫び、泣きました。
火葬の時にも、「嫌だー!止めて
ー!」と声の限り、妹の名前を叫びました。
悔しい。
もっと連絡を取ってあげていれば…。
後悔でいっぱいでした。
妹を亡くした辛さに耐えられなくて、こんなに辛いなら私も死んでしまいたいと、何度も思いました。
私が世界で一番不幸な人間だ。
自分は適応障害で休職して、その上、妹まで失って。
1日中妹のことを考えていました。
家事も何も手につかない。
そんな日々が、約3ヶ月続きました。
でも、今は違います。
今は、【妹の分まで生きなければ】と思っています。
今思えば、一番不幸だったのは妹自身です。
警察の方が調べてくださったんです。妹は、本当に死ぬ気は無かったんじゃないか、と。
証拠がたくさん出てきました。
睡眠薬を大量摂取してしまったことを親しい人に連絡していたこと。
オートロックのはずの部屋のドアをわざと開けたままにしていたこと。
貴重品の入ったバッグを公共スペースに置いたままにしていたこと。
妹に死ぬ気がなかったのなら…
私が死んだら妹は悲しむんだろうな、と思いました。
また、大切な人の死がこんなにも遺された人を苦しめることを知った今、自分で自分の命を絶とうだなんて、そんなこと、絶対にしてはいけないと思ったんです。まだ40代の両親の悲しみは、私には想像できません。
9月になって、やっと5月の頃のちょっと生き生きした私が顔を出し始めました。
まだまだ、少なくはなってきているけれど、毎日妹のことを考える時間はあるし、たまには泣きます。
でも、人間って、どんなに辛く苦しいことも、乗り越える力を持っているんだなぁ…と、我ながら感心しています。
私には、5つ下の弟もいます。
もう大学生ですが、とっても可愛いです。
妹の分まで可愛がってあげたい。
再就職したら、働いていた頃のようにまた、お小遣いをたくさんあげたい、と思っています。
そんな小さな目標ですが、叶えるためにも私はこれからも生きていかなければと思います。
今回はかなり重い内容になってしまいました。
私はしばらくは読み返せないかもしれません。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
人生初のハローワーク(2017年5月)
この頃、早起きして散歩してみたり、日中はお出かけしたりと、調子はそこそこに良い日が続いていました。
そろそろ復帰できるんじゃないか?
そう感じて、行動してみました。
とりあえずは今と違う職種に就いてみようかな、と思い、どんな仕事が募集されているのかを探しに、市のハローワークに行ってみたんです。
国家資格は持っているのですが、ハードワークのため、復帰のハードルが他の職業と比べると高く、時間もかかると担当医から説明は受けていました。
前職に戻りたくなったらその時考えればいい、まずは、とりあえず、生活できる程度の収入を…
実は、そこそこ難関国立の4年制大学を卒業している私にとって、ハローワークに行く行為は恥ずかしいものだと思っていました。
でも、行って良かったです。
(ハローワークさん、偏見を持っていました、ごめんなさい)
担当してくれた方がかけてくださった言葉は、これからも私の宝物になると思います。
「20代?まだ若いんだからこれから何とでもなるよ。大丈夫。僕も60歳過ぎてね、やっと適職を見つけた感じだから。ははは(笑)」
3回くらい通って、これなら出来るかな?という仕事が見つかったのですが、翌月にに人生で一番辛い出来事が起こってしまい、それから今に至るまで一度もハローワークには行けていません(詳細は後ほど記事にしようと思います)。
復帰の兆しが見えて来たら、またハローワークさんにお世話になろうと思っています。
自殺未遂(2017年4月)
4月になって、後輩たちがどんどん就職、院進していきました。
そんな中、私の中の感情は、焦りや不安、劣等感…。
生きて行く自信をなくしました。
私なんて生きている意味があるの?
働くことすらできないのに。
社会のゴミじゃん。
私はODしました。
処方されていた睡眠薬を20倍近く飲んだのかな?
前後の記憶は曖昧でよく覚えていないのですが。
私に起こった出来事は、部分的には覚えているのですが、ほとんどの部分は記憶にありません。
たまたま両親が私に電話してきて、私の意識が朦朧としていたこと、LINEの返信の文章もめちゃくちゃだったことから、高速道路を1時間半かけて駆けつけてくれました。
同時に彼が帰宅して、私の異変に気付いて号泣したそうです。「いつも近くで見ているのに、こんなことになってしまい、申し訳ありません」、と。
私は両親と彼氏に早期発見されたことで、一命を取り留めたんです。
一人では歩けない状態だったので、担がれてかかりつけ医の元へ。
フラフラになりながら診察と血液検査をした覚えがあります。内容は全く覚えていないです。
担当医に入院か実家に帰るかの選択を迫られた私は、「入院は絶対に嫌‼︎」と答えたそうです(笑)
それから10日間程実家で過ごしたはずなのですが、時系列はトンチンカン。何日間実家で過ごしたのかも忘れちゃう。薬の作用が抜けるまでは随分かかったみたいです。
後から聞いた話ですが、たまたまその日のその時間、最近私の調子がおかしいからと、彼が定期通院外の予約を入れていてくれたんです!
奇跡でしょうか!!
「生きて」と言われている気がしました。
「もう絶対に同じことはしない。私は生きる」と決めました。
大好きな人に救われた命です。
私はこれからも自分を大切にします。
エビリファイの副作用(2017年2月〜3月)
今日は、私に起きた、エビリファイの副作用についてお話します。
エビリファイによって調子が良くなり、そのまま治癒していく、というパターンが多いそうですが、私はそうではなかったんです。
むしろ、ハイテンションになり過ぎてしまい、自分ではコントロールできない状態になっていました。
「今の自分がやっていること、正しいと思う?間違っていると思わないの?」
「無理やり明るくしようと思わなくていいんだよ?」
彼氏や両親から言われても、何が間違っているのか、全く意味不明でした。無理やり明るくなんて、してないないよ?
私は完全に壊れていた。
当時の行動を振り返ると、とても恥ずかしいです。
ぬいぐるみを大量に買ったり、クレーンゲームをやってみたり(ゲームセンターなんて、それまで一度も足を踏み入れたことがなかった空間なのに)。
ぬいぐるみに依存していました。
深層心理には、たくさんの思いがあったのだと思います。
不安。劣等感。焦り。寂しさ。
担当医からは、一時的な「退行」もみられる、と。
23歳が退行だなんて。ちょっと悲しくなりました。でも、受け入れなきゃ。
エビリファイは3月半ばに投薬中止になり、それから症状は落ち着きました。
しかし、また気分が沈むようになった私は、4月に自殺未遂をしてしまったのです…。
適応障害で休職が決まったよ!(2016年11月〜2017年1月)
新卒で働いていたときのお話(2016年4月〜11月)
今日は新卒で働いていたときのお話。
毎日が苦痛で、車道に飛び出したい衝動に駆られていました。
こんな生活が続くなら消えてしまいたい。
毎朝、吐き気と頭痛を必死にこらえて出勤していました。
他にも、
ストレス性蕁麻疹になったり。
自律神経失調症で倒れたり。
扁桃腺炎になったり。
元々身体は強い方だったのですが、精神的ストレスから身体症状がかなり出ていました。
でも、仕事、休ませてもらえないし…
休日は疲れ果てて寝ているだけ。
家事も手につかない。
そんなこんなしているうちに、集中力が取り柄だった私の仕事スピードが、みるみる落ちていきました。
それと同時に、声がほとんど出なくなり、仕事に支障をきたす程になっていました。
流石に上司も気がつき、面談が行われ、産業医の介入が必要と判断されました。産業医との面談の2日後には心療内科へ行き、適応障害と抑うつ状態の診断で休職が決まりました。