彼との最近。過敏性腸症候群。医療事務の勉強。
2018.05.04
大学時代の友人と久々の再会。
みんなそれぞれの場所で頑張っていました。
私も、私のペースで頑張ろう!
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★本日の内容
【彼との最近】
【過敏性腸症候群と体重減少】
【医療事務の勉強をすることをやめました】
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【彼との最近】
5日前、彼にLINEを送りました。
『心身健康な人をパートナーに選びたいって思うのは、普通のことだと思う。私の意見ばっかり押し付けてたなって反省した。
一生懸命考えて出してくれた結果がどっちだとしても、あなたが幸せで居られることが私の一番の望みだから、私はあなたに固執するのを辞めようと思う(^^)
大切な人の幸せを考えられないとか、私、狂ってたね、ごめんね🙏
返信は要らないです。
残りのGWも楽しんでね。』
それから連絡は全くなく…。
寂しいな、と思ってしまいます。
「お仕事お疲れさま」だけでもいいから。
何か一言だけでもいいから。
抑えても抑えても、堪え切れない思いがあります。やっぱり、好きなものはどうしようもないですね。「期待するな、するな」と自分に言い聞かせても、どうしても彼からの連絡を心待ちにしている自分がいます。
私からはしばらく連絡して来ないで、とのことなのでただ待つのみですが、替わりに仕事に力を入れて頑張っています。会う予定だった日は勉強をして。それが、遠回りのようで、近道であることを信じています…。
4日前(彼と最後の連絡を取り合った翌日)、久々に躁状態がやって来ました。
飼い猫が棚の物を落としただけなのに、いつものことなのに、無性に腹が立って猫を布団に投げ飛ばしてしまいました。何ヶ月ぶりでしょうか…。動物に当たるとか最悪。そんな自分が恐ろしい。怖い。嫌だ。助けて。誰か止めて。
順調に抗躁薬、減薬できていたのに…今週の診察で担当医に相談しようと思います。
仕事のストレス。プライベートのストレス。
どこかで頑張ると、どこかでガタがくる…。
まだ、感情のコントロールが難しいのだと思います。客観的に自分を見られているので、まだ良い方かな…。
【過敏性腸症候群と体重減少】
なんだかんだでお腹の調子も安定しない日が続き(過敏性腸症候群)、2ヶ月で52㎏あった体重が45㎏まで減りました…。BMIも標準以下になっているので流石にしんどいです。
一度職場で顔色が悪いと指摘され、昼休憩を横になって過ごしました…。その後の仕事にはなんとか支障を来たさなかったので、他のスタッフに迷惑を掛けずに済んで良かったです(*´−`)
職場で御手洗いに行く回数を減らすために、朝昼はカロリーメイトとウイダーでなんとかしのぎます。特に午前中は前職の名残りで嘔気があるのでなかなか大変です。
夜は小さくなった胃に出来るだけ食事を詰め込む、といった感じですが、流石にこの食生活では体重は減る一方なので、何とかならないか、次の診察で担当医にお薬の変更か増量の相談をしたいと思います。
さとちゃんさんに教えていただいた【豆腐チーズのオリーブオイル塩コショウがけ】が美味しくて、何度も食べました(*^^*)
簡単で美味しくて食欲がないときでもペロリと食べられます✨次のお買い物でも買ってきます♫
【医療事務の勉強をすることをやめました】
医療事務の本を某アプリに出品しました!
10冊ほど購入しましたが、多分もう使わない…です。一時期は「看護師を辞めて医療事務になろう」と思い勉強しましたが、やっぱり私は看護師を続けよう、と思ったので。転職して、同じ資格でもこんな働き方ができるんだ…と、驚いています。
こんまり先生の本に、『ときめかないものは捨てちゃえ、必要になったらまた買えばいい』と書いてあったので、思い切って処分です。中古で安く購入したものもありますが、定価で購入したものもあり勿体ないけれど…ずっと本棚に眠らせておく方がスペースを取ってしまい、勿体ないです。
ちょっと寂しい気もしますが、今後やりたいことも少しずつ見えてきているので、そのためにも一度手放してみます。
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さて、今週はなぜか週4勤務なので(いつもは2〜3日/週)体調管理をしっかりしたいと思います!
将来が見えない不安…
病気になる前の私。
あの頃に戻れたらいいのに…。
ズタボロな記事なのでご注意ください(^_^;)
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前回の記事で、たくさんの方からコメントをいただきました。その中で、ハッとしたことがあったので、一部抜粋させていただきます。
『寛解したと思ってもあっというまに再発します。週5日フルタイムですぐに病状悪化しました。メンタルの病気は半永久的につきまといます。彼氏さんが継続的な心身の健康をなつさんに求めるのなら、それに対するサポートを要求したっていいと思います。1年やそこらでメンタルの病気、ましてや双極性障害のコントロールは難しいです。心身最優先で、周りに合わせすぎないようにしてください。それでつぶれた人を何人も身近に知っているので…』
私の疾患は「完治」ではなく「寛解」という曖昧な表現を使うこと自体が、再発の可能性が高いことを示唆していて、本当に怖いです。
私はコメントくださった方の仰るとおりで、彼の要望に応えようと必死でした。私が自分でなんとかしなければ、とずっと思っていました。彼に協力してもらう、という新しい考え方を知ることができました。
まずは自分を潰さないことを第一優先にしなければ。
再発を予防できる働き方を今後彼が理解してくれると良いのですが、話してもなかなか理解が得られないので難しい…と感じています。心身健康な人をパートナーに選びたい、と言う彼の気持ちも普通のことだと思うので、苦しいです(><)
今後一緒になりたいですが、最終的には彼が決断することなのでどうにも出来ません。今は彼を信じて、私は今のパートを体調を崩さない程度にそこそこに頑張って、少しでも良い未来になるように日々精進することしかできません。
彼は私と1年以内に別れるかどうかを決めるようです。
私は居ても居なくても良いんだ…。
自分がこんなに必要とされていなかったなんて気が付きませんでした。
5年以上も付き合っているのは大事にされているからだと思っていました。
彼に必要とされていることだけが、自尊心の欠片も無い私のたった一つの自信だったのに…。
再発しちゃダメ。
週5日フルタイムじゃなきゃダメ。
「その要望、どっちも叶えるのは難しい可能性もあるんだよ?どっちが大事なの?」と聞いたら「私の身体」と。週5日フルタイムを選ばれなかったのがせめてもの救いです。
後々は週5日フルタイムで頑張る予定ですが、体調によっては再度パートに切り替える必要が出てくる可能性もあります。臨機応変に対応していく働き方でも、彼の求める相手としては不可かも、と言われてしまいました。
私に出来る最大限なのに…。
それ以上、どうしろと?
そこで、いつもアドバイスをいただいている方に相談させていただいて、ブログを書いていることを彼に打ち明けることにしました。
「今まで言わなかったけど、ブログに記録があるから私の気持ちも少しで良いから理解して欲しい」と伝えてみました。
でも、私の気持ちどうこうじゃなくて「今後の自分の生活とか将来を考えるのが優先だから、読まない」と言われてしまいました。
私の気持ちはどうでもいいの…⁈
冷たいよ…
もっと理解のある人だと思っていました。
悲しい。悔しい。
最近、私の今後について話して、普通の人と同じように生きていくのは難しいかもしれない、と分かった瞬間から掌返したように変わってしまったように思います。
一応、聞いてみたことがあります。
私「私、あなたと別れたら今後需要あると思う?」
彼「まー、探せばあるんじゃない?」
完全に離れてる…。
そして、本人も自覚していますが、人が傷ついているのに気が付かないところが彼の欠点だなー…と改めて思ってしまいました。
「暫く考える時間が欲しい」と言われていますが、絶対に手放したくないと思うなら、そんなに考える必要ないよね…?と思ってしまいます。私の存在ってその程度だったんだ…と、悲しくなりました。
私の病気が悪いのでしょうか?
私のもとからが悪いのでしょうか?
私に「普通」を求めるなら、別れたほうがいいよ。
私が最大限に努力してもダメと言うならどうしようもありません。
彼が何をどのくらい考えたいのかよくわかりませんが、話しても拉致があかないのでこちらから連絡するのはひとまず控えようと思います。
気が向いたら連絡してくるでしょう…。
彼の答えは期待せずに待ちます。
なるようにしかなりません…。
ボロ雑巾のようなズタボロな記事ですみません。
パートに5日間行けました。
彼と私、お互い社会人になって初めてのお出かけでした。水族園に行きましたが、観覧車もきれいだったので写真を撮りました。フェアリーペンギンがとっても可愛かったです♡
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先週から看護師のパートが始まりました。土日祝中心の月10日フルタイムのパートです。一昨日までに5日間勤務しました。
久々の採血。新しい環境。
とても疲れてしまって、毎日9時間睡眠していました。起床時のめまいや嘔気もやっぱりあって、「仕事に行く」ことに対するストレスを感じました。やっぱり、働くって、怖いです…。
でも、転職して良かったと思います。病棟のような過度に張り詰めた緊張感や、キャパオーバーな仕事内容から解放されました。サービス残業もぐっと減りました。スタッフの仲が良いので、人間関係も良さそうです。これからは週2〜3日の勤務になりますが、なんとかやっていけそうな気がしています。まずは、採血の成功率を上げなければ…‼︎
5日間で15人中2人も失敗してしまったので、自分の技術の未熟さにかなりショックを受けています…(><)
でも、きちんと採取できたときの喜びは大きいです。以前の職場では、自分が行ったことでこんなに嬉しいと思えた事はなかったです。仕事の達成感を初めて味わいました。
ちなみに、Wワークを希望していたのでもう1ヶ所クリニックの看護師に応募していたのですが、そちらは面接の結果不採用でした。今思えば不採用で良かったです。今の私に2つの仕事をこなすのはキャパオーバーです( ̄▽ ̄;)
6月まではここのパートだけで身体を慣らしたり勉強したりして、7月以降にもう1つパートを増やせたらいいかな、と思っています。
自分が元気に生活できて、仕事もそこそこに。できること、やりたいことをやっていこうと思っています。生きているのが辛くなるのはもう嫌です…。
そして今、悩みがあります。土日祝中心のパートなので、公務員の彼と休みがほとんど合わないことです。「本当は休みの日に会いたいけど、なつがやりたいと思えた仕事なら応援するよ」と彼が言ってくれて、私も会える機会が減ることを覚悟の上で決めた仕事ですが、やっぱり寂しいことには変わりないです。先日はたまたま私がお休みだったので会えたのですが、次会えるのはいつになるの…と、別れ際にこれでもかというほど泣きました。
彼は今のところ、私に定年まで正社員フルタイムで働くことは求めていませんが、「それができる程度に心身が健康な人じゃないと、これから先、一緒に生きていく相手としては選べない。ごめん。でも、応援してるから。1年は待つから。」と言われています。
私の目標は、今年度中に週5日勤務ができるようになることです。彼に認めてもらえる人になりたい。
毎日おかえりとただいまを言って、一緒にごはんを食べて、一緒に寝て…彼と一緒に暮らせる、そんな幸せな生活を夢みています。
1年後の私はどうしているのかな…?未来の自分を知りたいです。今までは1日1日が過ぎていくのは自分だけが取り残されているようで怖かったのですが(1年5ヶ月、仕事ができない状態だったので)、今は1年後にタイムスリップしたい気持ちです。
今日明日は休みですが、明後日からまたお仕事です。過敏性腸症候群でお腹の調子も悪いし、緊張性の頭痛や肩こり、めまいや嘔気もあるので、自分の身体とよく相談しながら無理せずにやっていきたいと思います。
今はゆっくり休む時期の方。
少しずつ動けるようになってきた方。
復職・転職された方。
自分でそれぞれの段階を経験してきたので、それぞれの大変さが少しはわかるようになったと思います。どの段階でも、大変です。
今までは、友人やブログやTwitterで、復職・転職していく方をみて「仕事ができるまで回復した人ってすごいな…私はまだまだ全然ダメだな…」と思っていました。
でも、仕事ができる状態だからすごいという訳でもないんだな…と思いました。
それぞれの段階で苦しみがあるので、その苦しみと闘っていること自体がすごいこと。
私と同じように考えていた方も多いと思います。「働けない自分」は悔しいですし、社会から取り残されている…社会の役に立っていない…みんなはできるのに私はできない…たくさん悔しい思いをしてきました。
でも、大丈夫。何もできないと思っても、生きているだけで周りから必要とされていました。存在価値のない人なんていない。私にも生存価値があるから、生きていて大丈夫。
自分を責めずに、少しずつ前進したり、後退したり。これからは幸せのために生きていきたいです。
ほぼ寛解した私。パートが1つ決まりました。
先週、友人とカフェへ。
重かった…歳でしょうか( ̄▽ ̄;)
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2018年3月31日、2年間在籍させていただいた職場を退職しました。
本当は退職したくなかったです、やっぱり。
泣きながら手続きをして、大好きな新人教育担当の方に、泣きながら謝りました。でも、私の決断を受け入れてくれました。
今の自分はハードルが高い病棟ナースとして復帰できる状態ではない。もっと時間がかかる。それならハードルを低くして、出来ることから始めよう。
約1年間、たくさん悩んでたくさん考えて出した答えです。
2016年11月末から休職していたので実際に働いたのは8ヶ月弱ですが、看護師として、また、社会人として学んだことは今後の人生の糧になると思います。
また、休職期間も無駄な時間ではなかったと思います。自分と向き合う、大切な時間だったと今なら思えます。自己肯定感が低くて自信がなかった自分。
『自信』って、自分にできることとできないことをそれぞれ認めてあげることなのかもしれない…と感じました。
実際の意味は違うかもしれませんが(><)
病気になる前の自分より、私は強くなったと思います。あんなにしんどいのを乗り越えたんだもん。
でも、病気にならなかったらならなかったで、また違った強さを手に入れていたと思います。過去のことを後悔してもどうしようもないのですが、でもやっぱり、病気にはなりたくなかったです。当たり前のことですが( ̄▽ ̄)
3月からパートですが就活をして、3つ目に応募したところでやっと採用が決まりました。来週から仕事が始まります。休職中、何度も私は看護師に向いていない、辞めよう、と思いましたが、結局原点回帰です。やっぱり、私は医療に関わりたいみたいです。私もびっくり、周りもびっくりです(´⊙ω⊙`)
パートを掛け持ちする予定なので、もう1つどこかに採用していただけるよう頑張りますが、就活のストレスから胃腸の調子が悪くなり(過敏性腸症候群です)、体重が4〜5kg減ってしまったので、適度にやっていきます(^_^;)
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振り返ってみると…
適応障害。
しんどかったです。
死にかけたこともありました。
生きていて良かったです。
義務教育皆勤賞の私の体調がめちゃくちゃになるとは…という感じでした。
吐き気。
めまい。
頭痛。
肩凝り。
脱毛。
ストレス性蕁麻疹。
扁桃腺炎。
集中力の低下。
声が出ない。
食欲低下。
倦怠感。
顔色が悪い。
………等々。
ストレスと原因はいろんなことが重なったんだろうな…と。よく聞かれますが、ピンポイントで“これが嫌だった”というのは何なのかわからないです。あとは、所々記憶がなくなっているのでよく覚えていません。
私は症状が出る度に内科に通いましたが、悲しいことに、どの医師も心療内科に行くように勧めてくれませんでした。
私自身も、心身の疲労によるストレスをきちんと自覚していませんでした。新社会人はみんな大変なんだ、みんな辛いんだ、みんな身体に不調を持ちながら頑張っているんだ、と思っていました。上司にもそのように言われていたので、「そういうものなんだ…慣れるまで耐えるしかないんだ」と、気付かないうちに無理を通り越して壊れていました。
以下は初めての心療内科で言われたことですが、私はとても良い医師に出会えたと思います。
『辛いとは言っても、その人によって辛いの度合いは全然違うんだよ。こんなに症状が出ているのによく働いていたね。診断書出すから、今日から好きなだけ休んでね』
初診から1年5ヶ月経過しました。
体調の波はありましたが、外出、復職訓練、早寝早起き等、医師の助言をもらいながら少しずつ体調を戻していきました。
特に、両親や彼にはとてつもなく迷惑をかけました。特に躁状態のときの私は最悪な人間でした。彼の心身をとても傷付けました。謝っても謝りきれないです。本当にごめんなさい。
それでも私を見捨てずに「いつか寛解する」ことを待ち続けてくれたことに本当に感謝しています。
また、たくさんの方からメッセージをいただきました。相談にも、のってくれました。今の私があるのは周りの人たちのおかげです。
今は、ほぼ寛解して定期的に通院しながら少しずつ減薬している段階です。
これからは自分の疲労度メーターを把握して、「幸せ」のために仕事をしていきたいです。
もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、長文失礼しました。
読んでいただきありがとうございます。
絶賛就活中!(パート探し)
写真は3月末に行った、
毎年恒例の🍓いちご狩り🍓と🌸お花見🌸です。
お花見にはたくさん犬のお散歩をしている方がいて、たくさん触らせていただきました☺︎
私が動物好きなのがワンちゃんにも伝わるのか、かなりの確率で向こうから寄ってきてくれます。猫も可愛いですが、犬にもまた違った魅力がありますね❣️
夕食は春の山菜ウドを含めた天ぷらを作りました。3月最後に素敵な思い出がまたひとつ、増えました☺︎
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前回の記事を書いたときは、2つ目のパートに応募したところでした。その後面接を受けたのですが…落ちました。
1年以上休職していたことや、現在はパートで働ける程度までは回復していることは納得してもらえました。また、応募した職への適応性に関しても問題なくクリアしたのですが…
「学歴が高くて雇えない。看護師の資格があるならもっといい条件で働けるよね?」
私を雇ったら、「こちらが周囲から反感を買うから無理」と言われました。えーーー、そんな…ど直球で言わなくても良くないですかー(T-T)
それに、資格があったら使わなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー(T-T)
なかなか理解してもらうのは難しいです。
予想はしていましたが、この人手不足の世の中で正社員ならまだしも、パートで2つ落ちるとは…
なかなかやるな私!笑
でも、
頑張るもん!
何とかするしかないもん!
落ちる度に泣き、何に応募したら良いかわからなくなっては泣き、就職で他県に行った彼からLINEが来ては安心して泣き…
でも、できることが増えてきて挑戦して、難しいことに直面している結果だと思うので、きっといつかはプラスに変わる涙なんだろうな…と思っています。
また、就活も受けないよりは受けて落ちた方が経験値UP↑に繋がると思うので、果敢に挑戦していきたいです。
最近、落ちる度に、なぜか更に難易度が高そうな求人に応募していることに気がつきました。
落ちてはいるけど、面接に対する自信がついてきたのかな?
他人と関わることに対する恐怖心が薄れてきてるのかな?
一昨日は、その前日にハローワークで手配してくださったところに履歴書を送りました。
今度は看護師の資格が活かせるところです。月の勤務日数がフルタイムで10日程度とのことで、週2〜3日なら頑張れるはず!と思い、決心しました。
本当にここ2週間くらいの変化なのですが、「業務内容が少ないところなら、看護師の資格が活かせるところでもいけるかも」と思うようになりました。
あんなに拒否していたのに…
自分でも気持ちの変化に驚いています。
書類選考を通過すれば、面接と筆記試験を受けさせていただけるようです。選考に約1週間かかるようなので、もう1つくらい応募しながら連絡を待ちたいと思います。
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最近、お仕事探し→応募→履歴書→面接→落ちてショック…と、疲れ気味で食欲不振だったり、食べることを忘れてしまったりです。
過敏性腸症候群も再燃してしまいました。
2週間前に診察の時に測った体重より4キロ減っていたので、BMI値はまだ標準なので大丈夫なのですが、きちんと体調管理をしないと今後身体が持たない!と感じました( ̄◇ ̄;)
無理しない程度に、焦らずに、少し休みを挟みながらやっていきたいと思います。
🌸春は体調を崩しやすい季節なので、皆様もお気をつけください🌸
彼の卒業式と、彼の引っ越し
今週は、彼の大学院の卒業式があり、彼の引っ越しのお手伝いもしました。
【🌸彼の卒業式🌸】
卒業式では彼の友人にも会えて嬉しかったし、みんな輝いていて素敵でした。
男の子はカッコ良くスーツで決めて。
女の子は綺麗に袴で決めて。
みんな就職も良いところに決まって、夢と希望に溢れていました。
私の境遇を知らない人がほとんどなので、「あれ?彼女さんは働いてるんだよね?」と聞かれて、彼の評価を下げたくない気持ちでいっぱいになってしまい、言葉に詰まってしまいました。
そのとき、私のことをよく理解してくれている彼の友人が、
「今のところは3月で退職して、今は転職活動中だよ。」
と代わりに答えてくれて、とても助かりました。
病気のことや休職のことを話さずうまくかわしてくれて本当にありがとう…と思いました(>_<)
彼は本当に素敵な友人に恵まれたんだな、と改めて感じました。
たまにしか会わない私にも良くしてくれて…。
彼の隣にいて恥ずかしくないような人になれるように精進していきたいと、改めて決意しました。
早速昨日は両親や彼と相談して、2つ目のアルバイトに応募しました。医療機器メーカーの事務と機器の洗浄等を行うようです。面接まで辿りつけることを祈って、現在連絡待ちです。
音楽関係のアルバイトは、負担が大きい割に収入が少なすぎるとの理由で、担当医からも彼からも反対されて、結局諦めることにしました。
今は諦めるけれど、結婚後や出産後等、将来少しでも仕事にできたら良いなと思っています。
前回の記事にコメントくださった方のお言葉で希望の光が見えて嬉しかったので、完全には諦めていません!
あとは、日々の日記やこちらのブログでの情報発信を継続して、いつか私の闘病記をまとめられたらいいな、なんて思ったり。
【🎁彼の引っ越しのお手伝い🎁】
この時期の引っ越しは値段がとても高いので、業務用の車を借りて、2人で全部運びました。レンタル代とガソリン代、高速代を合わせて2万円弱でしょうか。
今、とても身体が痛いです( ̄▽ ̄;)
でも、とても良い運動になって、今後こんなにゆっくり話すことも少なくなるんだな…と思うと、彼と2人で過ごせることも嬉しかったです。
公共交通機関で1時間ちょっとの距離なので、月に1〜2回は休みを合わせて会えるかな…?
4月からは彼も社会人なので、私も負けずに(まだまだいろいろ負けているけれど…😅)頑張っていきたいです。
・フルタイムで働けるようになること(できる限り正規雇用を目指すこと)
・自立した生活ができること(病気になる前に出来ていたことが出来るようになること)
以上が今後一緒になるための条件だそうです。
都会に出て行って、素敵な女性がたくさんいるので目移りしたりして…笑
負けないように頑張ります💪
*****追記*****
写真は彼の卒業旅行のお土産です。
いつも香水は¥2,000以下と決めて購入していたので、フランスの素敵なお土産に大喜びです。
チョコレートは、本場ベルギーで購入してくれたみたいです。
物のチョイスも嬉しいけれど、私のために選んでくれた気持ちがとても嬉しいです。
私は、幸せ者だなぁ…
アルバイト1つ目、不合格の巻
先日応募したアルバイトは、やはり精神疾患に理解がなかったようで、通りませんでした。
何となく感じていたんです…
この面接担当、理解なさそう…
私の居場所はここじゃないかも…、と。
「人生、なんとかなる」
と思って生きていますが、
いざ壁にぶつかると凹みますね…
わかってはいても、落ち込んで何日か泣きました( ̄▽ ̄;)
「アルバイトなんかで落ちちゃってごめん、情けないわ…」
と彼に連絡しました。
「そっかー。残念だけど、病気のことを伝えた上でとってくれるところじゃないとしんどいと思うので、全然大丈夫!次行きましょう👌」
と返信が来ました。
少しは理解してくれてるんだ…と思ったら、嬉しくて泣きそうになりました。
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昨日、2つ目のピアノの講師のアルバイトに応募しました。
かなり技術が要るものですが、小中高と習い事をしていたものなので、頑張ればできるかもしれない、との希望を込めて。
かなりブランクがあるので、昨日から技術と勘を取り戻すために練習を開始しました。実際、指が動かなくてしんどいです…。
それと、アパートでキーボードしか置けないので、本物のピアノで弾きたくてうずうずしています(><)!
実際、大学進学の際に看護の道か、音楽の道かを迷ったくらいなので、もしここが駄目でもいつかはやってみたいな、と思える職業です。
大学在学中も、就職してからも、休職してからも、音大に進学していればこんな苦労はしなかったんじゃないかと何度も思いました。
でも、ここに居なかったら大切な友人にも、大好きな彼にも、後輩たちにも、会えていなかったんだと思うと、不思議なものです。
きっと、この道で間違ってはいなかったんだと。
軌道修正は今からでも遅くはないと。
周りの環境が私の味方をしてくれている気がします。
よし、また気持ちを切り替えて頑張ります!
病気になって失ったものもあるけれど、得たものもある。
先週、アルバイトの面接を受けました。
結果は今週。
病気と闘うありのままの私も、ここで頑張りたい気持ちも、伝えてきました。
病気は不利だけど、採用後に困るのは相手だけじゃなくて私もだから…
まだまだ精神疾患や転職に理解の薄い世の中だから、あまり期待はしていないけれど、通ったらいいなぁ…
少しどきどきしながら結果を待っています。
病気になって、たくさんつらい思いをしてきたし、周りの人にもたくさん迷惑をかけてきたけれど…
今だから思える。
得たものも、たくさんある。
最近そんなことを考えていたら、主治医の先生に同じことを言われて、あ、私、間違ってなかったんだな、と思えました☺️
私はいつも、NEWSの小山くんから元気もらっています✨
こんなに誰かが輝いて見えるのも、病気になったおかげなのだと思います。
小山くんは『俺、今、超幸せだよ‼︎』とラジオで言っていました。
確かに「幸せ」って思って生きていたら、周りも幸せに巻き込めそうです😊
同じ世代に生まれてこられて、私はなんて幸せなんだろう❣️
小山くんを見ていると、自分に嘘をつかないで生きていくことの大切さが伝わってきます。
NEWS解散の危機という壁があって大変な時期もあったけれど、小山くんも、乗り越えたときに見えたものがあったのかな。
私は今まで自分で自分を縛り付けて生きてきて疲れてしまいました。
そろそろ解放の時期なのかな?と思っています。
両親は、妹の件があったためか、私も死なすわけにはいかない、と必死になっているように見えます。
「好きなようにして良いんだよ」と言ってくれます。
だけど、彼は「国立大卒として勿体ない」と言います。
そこそこ良い大学を出たけれど、地頭が良かったのではなくて、ただ、人一倍努力した結果なんだよ…私の才能は努力できることだけ。
これからもずっと人一倍の力で生きていったら、心身もたない…病気になって、よくわかりました。
だから、学歴関係なく好きなことをやりたい。
高学歴の彼にはなかなか理解してもらえない部分です。
彼は自分が思ったように物事が進まないと納得できない性格ですが、今後一緒に人生を歩むなら、理解が必要です…💧
今春から彼も社会人なので、少しは理解してくれるかもしれません。期待外れは悲しいのであまり期待していませんが…💧
今後、将来の方向性が違ってしまったら、大好きでも別れることも仕方がないかな、と思っています。
一人の人間として、私にも幸せを求める権利があるんだと思えるようになりました。
いつも、「人の役に立ちたい」と考えて、結局「人の役に立つ仕事の究極は医療だ」と、勝手に決めつけていました。
「自分のために生きる」という選択肢が、今までの私の中にはなかったのだと思います。
今日は、病気になって自分と向き合って今までに考えたことや、得たものを綴ってみました。
退職手続きをしてきました。
本日、泣きながら退職手続きをしてきました。
今年度で退職になります。
泣きながら手続きをする人っているんでしょうか…。
上司に元々大学のときの先生がいるのですが、「優秀で真面目な学生さんだったのを見てきたから、正直、勿体無い」と言われました。
こんな私でも、社会から必要とされているみたいです。
需要があることに喜びを感じながらも、今の私には難しいということを伝えました。
応えられない自分が悔しくて、泣きました。
「優秀で態度も良かったから、先生方みんな、なつさんのこと覚えていると思うわよ」
「先生は大人しい子とか元気な子とかで判断してないから、ちゃんと一人ひとり見てるから」
今まで、自己否定ばかりしてきました。
でも、この言葉でどれだけ自分を認めることができたか。
もっと自信を持って生きていきたい。
もっと自分を好きになりたい。
上司が、私をこのように見ていてくださったことに、そして、私に伝えてくださったことに感謝です。
でも、無理をして復帰せず、新たな道に進むという、ある意味自己防衛の判断をした私を、引き止めずに受け止めてくださった上司。
ありがたいと思いました。
でも、
働けなくなってしまった自分が悔しい…
もっと長く働き続けたかった…
この想いが消えることはないと思います。
担当医にも、看護師に戻るのにはまだ時間が必要だと言われており、これ以上待ってもいつ復帰できるかわからず、不安でいっぱいでした。
今、出来ることから始めていこう。
待っていても始まらない。
そして、やっと決断できました。
以前の記事に記載したように、適応障害だけではなく、双極性障害も併発していたことを、今月、担当医から告知されました。今は、躁状態は脱したようです。
週20時間未満のアルバイトはOKが出たので、
(それ以上働くと失業保険の適用外になるし、何よりもそれ以上働けるほど回復していません…)
不安と緊張でいっぱいですが、これからはエントリーや面接等、頑張っていきます。
2年間在籍したことになりますが、実際に働いた期間は8ヶ月弱です。
それでも、今思えば、この2年間は働いていた期間はもちろん、休職してからも、私を成長させてくれた大切な時期だったのだと思います。
少しずつ、前に進んでいるはず。
頑張れ、私。
日記の変化について
今日は、私が休職してから毎日書いている日記について。
2017年5月の日記。
字がめちゃくちゃです。
薬の影響もあったのかもしれませんが、精神状態もメッタメタだったのかも…
この日は、電車でパニック症状になって嘔吐したみたいですね(^_^;)
2018年2月の日記。
以前の私の字に戻りました。
内容も、ちょっとは良いこと書いています(^^)
内容はもちろん、字体にもその日の精神状態が顕著に現れていて、我ながらびっくりです。
2016年11月から書き始めた日記ですが、現在8冊目になりました。
上手くまとめたら本が書けそうです。
そんなスキルはありませんが…笑
今後も治療を続けながらアルバイト(予定)なので、日記を続けていきたいと思います。
今日は応募したアルバイト先から、応募要項についての電話がかかってくるかもしれないので、そわそわしています…。
面接でもないのに、お腹がキュウ〜っとしています…。
とりあえずは無事に面接まで辿り着けるように、落ち着いて電話に出たいと思います。
はぁ、、、緊張と不安でどきどきです、、、
双極性障害を併発していました。
今週の診察で、いくつか決定したことがあります。
*3月で退職すること(来週、産業医と上司と話し合いをする機会があるのでそこで話します)。
*アルバイトに応募すること(やっと許可が出ました✨)。
*アルバイト先には(おそらく聞かれるので)今までの経緯を話すこと。
*アルバイトは週2程度から開始し、慣れてきたら頻度を増やしていくこと。
*退職からアルバイト開始までの期間は、失業保険を使う事(来週、ハローワークに行きます)。
*国民保険に切り替えること。
*学生時代に払っていなかった国民年金を払っておくこと。
*いつかは正規雇用を目指すこと(あまり先のことはまだ考えなくて良い、とのことなのでここはとりあえず放置)。
……等々。
嬉しい反面、不安がとても強く、日常生活に支障をきたしているので、抗不安薬を3種類追加してもらいました。眠気が出ないといいなぁ…。
まだ完治した訳ではないので、働きながら、通院しながら、様子を見ながら、これからも治療を続けていく方針です。
「適応障害」と言われた割には、1年3ヶ月と、ここまでかなり長い時間がかかっています。モヤモヤしていましたし、彼も、だいぶ前から適応障害だけじゃないよね、と疑っていたんです。
私「私は何か他の疾患を併発していたんでしょうか?」
担当医『根底に、双極性障害があったと思いますよ。』
そうか、なるほど…。
今までの状態と繋がりました。
それから、今まで担当医が私に言わなかったのは、私が無駄に(看護師なので)知識があるので、言わないという選択をしてくれていたのかな。確かに、私にとっては告知されたのが今で良かったかも。
躁状態の時は、月に30万円使ったことがありました。かなり倹約家というか、節約志向でケチな私が…。
また、他人の言っていることが正しいとはわかっていても理解できない、わからなくて暴れたり、暴言を吐いたり、彼を叩いたり…。兄弟喧嘩でさえも手を挙げたことのなかった私が…。
彼に対して一方的に暴言を吐くことも多々ありました。その後の自己嫌悪と言ったら…毎回、辛かったです。
今は躁の症状はほとんどありません。
うつ状態の時は、食事を摂ることさえ忘れて、月に体重が5㎏以上減ったことがありました(現在は戻りました)。
歩くスピードが遅くなったり、何もやる気が起きなかったり、記憶が所々なくなっていたり。
挙げたらきりがないのでこれくらいにしておきます。
今も気分の落ち込みや不安が多々ありますが、徐々に回復してくれるのを待っています。
「不安だ、どうしよう」と、ならないように。
「不安だ、でも、そのうち去っていくから待とう」という感じで。
適応障害と、自律神経失調症と、双極性障害。ちょっと悲しいけれど、受容します。
症状が良くなってきているから、アルバイトの許可も出たのだと思います。
よし、来週は出来る範囲で頑張ります‼︎
「声が出にくい」悩み。
前回の記事で記載した通り、「声が出にくい」症状に悩んでいます。
場面緘黙症とまでは行きませんが、日常生活で困ることが多々…。
休職からしばらく経ち1人で外出する機会が増えて、「あ、私、声が出にくい…」と気が付きました。
特に、カフェなど外食時の注文や、買い物のお会計で店員さんとの会話が必要なときに困ります。
メニューが手元に置いてあるときは、指差しながら。
声が出るときは、なんとか絞り出します。でも、ゆっくりで、小さい…。何でこんなに喉が締まった感じがするんだろう…?
声が出ないときは、店員さんの問いかけに対して YES/NO のジェスチャーで何とか乗り切ります。
お陰様で、
風邪を引いている人に間違えられたり、
聴覚障害者に間違えられたり、
終いには日本語が話せないと思われたり…
そういえば、休職直前にも職場で声が出にくい症状があったので、まだ社会に対しての不安が強いのかな…。
(詳しくは以前の記事に記載があります。)
病気になる前は普通にできていたこと…。
少しずつ症状が軽くなることを信じて、その日その日の調子で乗り切るしかないですかね…。
夜回り先生についての記事を読んでくれた友人から、優しいメッセージが届きました。
【友人からのメッセージ】
なつ〜!突然ごめんね!
記事を読んでどうしてもなつにメッセージを送りたくなってしまった!
なつがすごくつらい思いをしながら日々闘ってきたんだなってこともすごく伝わってきたよ。
なつとは大学でたくさん話す機会があったわけじゃないけど、一年生のとき宿舎で一緒でいつもお料理がんばっててすごいな〜とかオーラから優しさ溢れる女の子だな〜とか笑顔が素敵だな〜とか、授業とかしっかり聞いてて真面目でほんとにいい子だな〜とか、たくさんなつのこと覚えてるよ!
きっと大学で関わった子たちやなつが今まで関わった子たちもうちみたいになつの人柄の良さとかしっかり感じてるんだと思う!
だからなつがいなくなってしまったら悲しむ人はたくさんだと思うんだあ。一時的じゃなくてね。
もしも大学で出会って同じ4年間がんばった仲間がいなくなってしまった報告を聞いたら、うちだったらすごく悲しいし、ずっとずっと心に残っていくと思う。
でも、それだけなつ自身抱えてるものが大きかった証拠だと思うからその考えをしてた自分を責めたりはしないでね(^^)
時間かかってもいい、少しずつでいい、焦らなくてもいいと思うからなつらしさを失わずに一歩一歩進んでいってね。
もしもまたなんかつらいこととかあったらうちでよければいつでも連絡してね(^_−)
1人で抱え込むことだけは絶対にダメだよー
********************
素敵なメッセージが届いて、嬉しくて泣いてしまいました(><)。°
元々自己肯定感が低いのに、病気になってから更に下がっていました。
もうちょっと自分を認めてあげようかな。
こんなに私を想ってくれる人がいる。
それと同時に、私の考えはみんなのことも傷つけることだったんだと気がつきました。
自分を否定するあまり、
「きっとみんなにとっても私は居ても居なくてもいい存在んだろうな、」
と思っていました…
それって、みんなを否定することにもなる。
友人のおかげで気がつきました。
また、
大学を卒業してからも、
休職してからも、
私は自分をすり減らしながら生きてきた気がします。
普通に考えて、それは疲れますよね…。
これからは何事にも体当たりで生きながら、もう一度自分を見つめ直していこうと思います。
いくつも当たったら、きっと何かに引っかかるはず…‼︎
引っかかるまでは何度も挫けると思いますが(^_^;)
*一度就職したところに適応して長く仕事を続けるに越したことはない。
*でも、適応できない状態で自分が壊れるまで頑張る必要はない。
*転職は悪いことじゃない。
これは私が適応障害になって学んだことです。
だから私は、自分の適職を探すためにも、可能性を広げるためにも、アルバイトから始めたいと思います。勤務形態を調整できるのもメリットだと思います。
この歳でアルバイト…?
と、世間の目が冷たいかも知れないことは承知の上です。仕方がないです。取り敢えずは、出来る範囲でしか動けないのですから…
現在、動物関係のアルバイトを検討しています。不思議なことに、動物を間に挟むと人と会話がスムーズに出来るんです。
社会への不安が大きいことから、場面緘黙に似た症状が出ているのが現状です(詳しくは次回記事にしようと思います)。
4月頃から働きたいなぁ…
だけど、まずは、
今日できることを!
明日できることを!
未来のことを考えすぎると、不安になって眠れなくなったり、悪夢にうなされたりしてしまうので、取り敢えずは目の前のことをこなしていきたいと思います。
夜回り先生(水谷修先生)、ありがとう。
読者の方々は、夜回り先生をご存知ですか。
知っている方が多いと思いますし、検索すればすぐにヒットするような有名な方なので、詳細は省略させていただきます。
先日、私の地元に講演会でいらっしゃったので、良い機会だと思い、参加してきました。
「子育てで一番大切なこと」という内容でお話をしてくださったのですが、私の心に一番響いたのは、自殺についての内容でした。
私は現在、希死念慮はありませんが、やはり、自分の生存価値がわからず路頭に迷っている状態でした。
きっと、私がいなくなっても悲しむのは家族と彼だけ。
でも、彼も次の相手を探せば良いだけ。
知り合いも悲しんでくれるかもしれないけれど、まぁ、一時的でしょう。
だから、私の生存価値って何なんだろう…って思ったら、ちっぽけすぎて悲しかったんです。
【あなたは誰かを幸せにするために生まれてきたんです。そのために生きてみませんか?】
夜回り先生のこの言葉に救われた気がしました。
看護師として誰かのために生きていきたいと思っていたけれど、それが難しい私という人間。
だけど、例えばお店で買い物をした時に、店員さんが素敵な対応をしてくださったら、その日1日が素敵な日になる。私は笑顔になる。
どんな仕事をしたとしても、誰かを幸せにすることって可能なんだと、この歳になってやっと気が付きました。
仕事の場面だけでなくても、私が存在することで相手を笑顔にしていたことって、思い返せばたくさんありました。たまには自分を褒めてあげなきゃ。
「なつと一緒にいるとほっこりするんだよね〜」と言ってくれる友人。
「なつさんが部活に顔だしてくれるとみんな喜ぶんです!また来てください!」と言ってくれる後輩。
「天然過ぎてヤバい」と言って笑ってくれる同期。
私は夢も希望も無いに等しかった。
でも今は、1日1人でも私の力で笑顔することが私の夢です。
これが私の夢です、なんて胸を張って言えることではないかもしれないけれど…相手が笑顔なら私も幸せな気持ちになります。
これが生きる糧になるなら、私はそれで良いかな、と思います。
そのために、3月で退職して、4月からはアルバイトをしながら少しずつ社会復帰していくことが今の目標です。
最後に。
講演会の後に、サイン会があったので1冊書籍を購入し、列に並びました。
ありがとうございます、と言って帰るつもりだったのですが、先生の顔を見た瞬間に言葉と嗚咽が先に出ていました。自分でも驚きました。
「先生、私の妹、昨年、自殺しちゃったんです…」
夜回り先生はこう仰いました。
『妹さんは帰ってこない。僕は、君のことの方が心配だ。君は今いくつだい?(「24歳です。」)それなら、家を出て自立しなさい。(「はい、今一人暮らししています。」)うん、何かあったらいつでもここに連絡しなさい。連絡、待ってるよ。』
他の方とはサインと言葉を一言交わす程度のサイン会でした。でも、私には名刺をくださいました。そして、握手をしてくださいました。人の温かさにこんなに感動したことはありませんでした。
…君のことが心配だ…
そんなこと、今まで誰にも言われなかった。誰かが私を心配してくれている。なんて心強いんだろう。
これからもたくさん、つまづいたり、辛いくなったりすることはあると思います。
でも、夜回り先生に誓って、私は自分なりに強く生きていきます。
本当に、先生に出会えて良かったです。
もう少し落ち着いたら、先生にメールを送りたいと思います。
また一つ歳をとりました
先週、誕生日を迎えました。
体調が悪くて引きこもっていたので、人生で初めてのぼっちバースデー(?)でした。
誕生日くらいは誰かと過ごしたいものですね💦
はっきり言って、寂しかったです…笑
来年からはアラサーの仲間入りです。
今までは、お酒を買うのに年齢確認をされたり、大学生に間違えられたり…。童顔のせいですね。
流石に今年はもう年齢確認されないでしょう…
心身ともに、美しく歳を重ねていきたいものです。
さて、今日は診察で来月分の診断書をもらってきました。
まだだめなの〜…
ただ、「転職先を考えたり調べてみたりして良いですよ」と言われたので、ちょっと進歩したのだと思います。
今までは毎度、「生活リズムを整えましょう」だったので。笑
最近は、週5日、
8時に目覚ましをセットして、
遅くても9時までには何とか布団から出て、
9時30分〜10時頃に図書館に到着して、
3〜4.5時間読書しています。
その後、週に2回は午後から自転車で30分のところにあるショッピングモールに行って、window shopping. ←これがそこそこ良い運動になります(^^)
午後、外出しない時は、掃除、TV、YouTube、読書、音楽、0.5〜1.5時間お昼寝。午後は、ほぼ毎日眠いです💤
24時前には就寝。
眠れないときはブロチゾラムを飲んでみたり、そのまま、ぼけーっとしていたり。
あとは、オルゴールや好きな音楽等を流していると、いつの間にか眠っています。
残りの2日は、好きに過ごしています。
1日は、ほとんど眠っています。とにかく休まないと、週5日活動が不可能になります…。
もう1日は、元気があれば、お散歩する程度です。休みたい時は、家の中でのんびり。
今後の課題は、
*もう少し早く布団から出る!
*少しずつ図書館滞在時間を伸ばす!(お昼休憩を挟んで午後も図書館に行けたら良いなぁ…)
休職の期間が終わったら、1ヶ月程度は仕事探しをして、まずはアルバイトやパートから始める予定です。
普通の人と同じように働けるようになってから、きちんと就職しようかな。
担当医の先生も、そんな感じで良いですよ、と言っているので、そんな感じで生きていく予定です。